未来はまだ煙のなか

数日前から、遡って10 日ほどしか摂れなかったamanaエッセンスを飲みはじめました。
そのエッセンスの効果はやはりパワフルに現れました。
amanaのエッセンスの選ばれた意図は浄化と女性性の統合でした。
前回飲んだ時ももしかして?と思ったのだけれど、祖母に対してつらくあたる(キレてしまう)ということが再び起きました。

頭では祖母の言動・行動を理解しているけれど、そこを押しのけて”もう嫌だ!”と感情が爆発しました。
助けを求められる繰り返しの声に、自分が十分な世話をしていないと責められていると感じているのです。
それにしてもその出方が穏やかでないのが問題。

その状態を昇華するのにエッセンス(フィンドホーン)を選びながら時間差で飲んで行きました。
こういう時は1本目は考えずに手を伸ばします。
そして摂って落ち着いてからトレーニングと同じ参照ワードで選んでゆきます。

ガーデンピー 言葉 人からの批判に過敏
シーロケット 責任感に押しつぶされそうになる
ウォータークレス 隠れたエネルギーパターンが繰り返し現れる 腹を立てる、意地が悪い ひどく不機嫌になる、防御的

常時ストレスはあるのだけど、気になるのは爆発する時のパターンはぶり返す痒みのような、皮膚の下に残る毒のような出方を感じること。
それはたぶん祖母とは直接関係がないもの。
そんな昼間を過ごしてやや複雑な心境で夜「未来からエッセンスを選ぶ」カラオケ会議に出かけたのです。

今の自分をまず見て、そこから未来になりたい自分をイメージする。
その間にあるギャップ”課題”を明確にしてエッセンスを選ぶ。
するとエッセンスがその課程を軽やかに飛び越えるのを助けてくれる。

簡単に言うとこういうことでした。
各花のエッセンスを螺旋の上に現れた魂の状態(段階)と置くことで明確にその意図を理解することができます。
あまりにも明確でした。

けれども、そこで自分をそこに落とし込もうとするとまるでわからなくなってしまう。
ある種自分の闇を見た状況に加え、自分はどうなりたいのかその姿とつなぐことは不可能でした。
どうなりたいのか−それこそがずっと埋められず保留にしている答えだからです。

会を終え、2次会で最後に手に摂ったのがママコノシリヌグイ。
これですか、、、
母にも祖母にも虐げられたりした記憶はないのです。
けど私の中にそういうする側の衝動がある。
自分を擁護するわけではないのだけど、虐めるのは弱い者へと転嫁される連鎖の結果でもある。
そう思うと、ぶり返すパターンはたぶん過去性なのだろうと思えました。
昼間、エッセンスを選びながらマヤズムについても調べていたのでした。

帰り道、思いがけずまた過去性について知ることとなりました。
私はなんとなく想像するという形でしか把握していませんし、積極的につきとめようとしたことはありませんが、時々人を介して自分の過去性を知ることになるのです。
今回は、シスターでたくさんの子どもを育てていたことがある、と。
私が今生子どもを生まなかったこと(そして自由が探求すべきテーマのひとつであること)から、生みたくなかったんだろうとは思っていました。
そして確かに、別の場所でもシスターだった過去があると言われていました。
(その時は私が求めているハグに関することはその過去性から身体に残っている渇望なのだとも)

帰宅中、そしてベッドに入り、目を閉じながらも「私がなりたい姿、一番したいことは何なのか」と自問を唱えていました。
青紫の雲の中に何かが蠢いて見えかけたけど、そのまま眠りに落ちました。

今朝、あらためてママコノシリヌグイを摂ってメッセージを調べると、
心の深い闇
そして
自分の内面を見つめて統合する
穏やかな心

とあり理解できたと思いました。

後日、
その時テーブルにあった6本のエッセンスの中から選ぶとママコノシリヌグイだったということだと思い至りました。
そのようにして、フラワーエッセンスは仮に1本で自分の問題と=になるぴったりのものではなくても、
必要な要素を含むものを摂ることで助けになるのだと感じました。

ここ数日感じた違和感からわかったことは他にもありました。

やはりエッセンスは摂って気づきが訪れたと同時に”問題は手放しさえすれば”過去のものになるということ。
例えば、ゲームやセッションの課程で浮かび上がった時エッセンスを摂れば気づき、それで終わりのエッセンスもあるのだと思います。
そこで表面の数枚は剥いてしまって、調合ボトルあるいはシングルボトルを選ぶのが有効なのではないかと。
そう思うとキットで持ってその都度自分で選んで使うのがやはり有用な気がします。
(マヤズム、そして根深い問題は別ですが、そういものにぶつかった時はプラクティショナーのアドヴァイスを受ければ良いのです)

意識より私の行動が遅い、ということ。
行動を起こす頃にはそれは意識に対して明らかに過去へのアクションになってしまっている。
そして始めてしまったその行動は本当に自分がしたいことだったのか。
そう問い正すことが、これまでにも幾度となくありました。
今回も、、淘汰されるものがありました。

欲しい物を手に入れるアプローチもそうだけど、本当に望むものに対しては遠回りが癖になっているよう。
それは攻略、妥協案、ネゴシエイション、という名の自分が課した条件付けとだったりします。

不思議の国のアリスは、少女の夢の中の話として描かれているけれど、実は不条理でナンセンスなこの世の物語。
煙にまかれて手で払いのけながら、
Who are you?
それだけを問われ続けているのかもしれません。

毎晩寝る前には、祖母は今生の別れを意識してか手を握りありがとうを繰り返します。
だから、どんなに怒ってもその時だけは私もありがとうを伝えます。
そして眠り、目が覚めたならそれはHappy unbirthday。
誕生日ではないけれど特別な一日を祝って今日もお茶を飲むのです。

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