私とフラワーエッセンスの出会い

私が”フラワーエッセンス”というものの存在を知ったのは、バッチ・フラワー・レメディが日本に輸入され始めた1990年頃のことです。林サオダさんがゲスト出演されたラジオ番組を聞いたのがきっかけでした。

その頃私は生花店で働いていました。
人が様々な目的のために花を買い求めに来る、そのシーンに立ち会う中で、こんなことがよくありました。
店には心を病んだ人が吸い寄せられるようにやって来るのです。
わけのわからないことを口走って喋り続けているような人もフラフラとやってきて、「花はきれいだねえ」そう言ってしばらく滞在して満足すると帰ってゆきました。

ですから、花の持つ波動には癒しの力があると聞いた時、その通りだと思いました。
そしてバッチ博士がエッセンスを開発するもっと以前、アボリジニの人たちが花の朝露を飲んだり、木の下に佇んだりしていたことも同じことだと聞き、いっそう興味を持ちました。
早速本を何冊か買って読み、私にはどのエッセンスが良いのかを知ろうとしました。

すると、お医者さんに相談するほどではないけれど、健康だった頃に比べどこか失調していると自覚のあった私にぴったりのものだとわかりました。
しかし、本を読めば読むほどどれも自分に当てはまる気がして絞り込むことができません。
悩んだ末に選んだ1本が「ホワイトチェスナット」でした。
今思えば、当時は精神的な重圧から軽い鬱のような状態だったのだと思います。
普通に生活はできていましたが、人混みの中でどこを見て歩いたら良いかわからない、バスに乗っていると突然涙が出てしまう、そして「いつまでもぐるぐる考えて嫌なことが忘れられない」という自覚がありました。
ホワイトチェスナットはそのぐるぐる考えることから抜け出せない状態に良いエッセンスです。
その次に選んだのが「ワイルドオート」でした。
いつしか摂ることを忘れてしまい、それきりになっていました。

それからしばらくたって、11年続けた花屋の仕事を辞めました。
1998年の春–スコットランドにあるフィンドホーン・ファウンデーションというスピリチュアル・コミュニティに行くことになりました。
その時出会ったのがFindhorn FLower EssencesとプロデューサーのMarion Reighさんでした。
滞在中、その講座を受け、オフィスでお手伝いする機会を得ました。
それからストックボトル一式を購入して、私は自分のためにエッセンスを選ぶこと、ペンデュラムの使い方などを覚えたのです。
エッセンスを詰めた重いスーツケースを引きずってアイルランド、イギリスと旅をし、日本へと戻りました。(この顛末はOne’s Diary Findhorn 1998に・・)
その後も勉強を続け、2003年に御岳で行われたプラクティショナー・トレーニングを受け、同年Findhornを再訪し、Marionさんの主催する「Garden Week」に参加しました。

フラワーエッセンスを封印した時期を除いても、15年以上エッセンスというものに触れてきました。
2015年秋、早稲田でのFFEのトレーニングを再受講したことをきっかけに、日本におけるエッセンスの現状に出会い直すことになりました。
そんな中で日本でもエッセンスが作られていることを知り、たくさんのプロデューサーのみなさんに出会う機会に恵まれました。
そうして日本のエッセンスを学ぶことをはじめ約2年が経ち今に至っています。