国のカルマ

 ここの所ニュースでよく見るイギリス議会での紛糾。
メイ首相を見る度思うのはあのゴツいアクセサリーがまるで首輪のようだと言うこと。〔個人的にはゴツさもセンスも彼女の声色も嫌いじゃないのですが〕自らすすんであの枷をはめているのかと思うと複雑です。

 私が遊学していた1998年から1999年、ヨーロッパでユーロが通貨として使われはじめました。その頃イングランドはヨーロッパではない!と言うのが一般的な人々の反応で加盟も遅れたように記憶しています。
今朝ワイドショーでBREXIT、EU離脱がうまく行かない原因は500年前にあると言うーー池上さんの解説を見ました。

 ちょうど北アイルランド紛争の和平合意に達した頃、98年4月から〜7月にかけて私はスコットランド北部にあるフィンドホーン共同体に滞在していました。その間テレビのない生活をしており、新聞が読める程の読解力もなく、自分の心の中だけを見つめ自然に囲まれ平和に暮らしていたのでした。

 そして7月にはフィンドホーンを後にしスコットランド西岸にあるキャンベルタウンから船に乗って北アイルランドへ渡りました。
そのまま北アイルランドから〔南〕アイルランドへと向かいましたが、国境検札もなかったのはEUに加盟したことで自由な往き来が可能になり、紛争が終わったためなのだと知りませんでした。
ジャイアンツコーズウェイ
ベルファスト
スライゴー
ゴールウェイ
アラン島
ダブリン
当たり前のように無事に旅をして、そしてロンドンへ向かうことができたのはイギリスがEUに加盟したことの恩恵だったのです。
和平が結ばれたとはいえ、その年も、その後もロンドンで爆弾テロは繰り返され、人々から危惧が消し去られることはなかったのだと思います。

 その後カレッジでの勉強中にヘンリー8世のことやイギリスの歴史を学び、純然たるイギリス人というアイデンティティは幻想なのだと驚きました。
異なる血を受け入れながらその家系統を守ることと血の系統そのものを守ること、イギリスと日本はとても良く似ていて、そしてやはり違うのだと感じていました。

アイルランドから夜行の船とバスを乗り継いでビクトリア駅に着いた時、助けてくれたのはトイレの掃除の女性や受付をしているインド系の男性でした。隣町のバーガーショップで言葉を交わしたおじさん。 
ブリクストンの商店街には店先で踊りながら手招きする陽気な肉屋さんがいました。
皆移民や古く渡英した人々の子孫です。

イギリスの功績と功罪。
自国の利益と安全のために再び閉じようとする国。
日本も同じように天秤を揺らしています。

安全に旅ができるのも楽しみのために生きることができるのも、日本が平和でありことができる恩恵です。
戦後これまでに築かれた平和は危ういバランスの上にあるのだということ。
この春、”平和”のありがたさが繰り返し心に響くのでした

https://bccks.jp/bcck/136640/info

1998年、北スコットランドからイギリス南部への短い旅の記憶です。
それは振り返れば–石を巡る旅でした。
2015年5月に発行し後学のためにと有料電子書籍としてストア配本していましたがこの春の新たな始まりに電子版を無料公開することにしました。