ジョアン・ジルベルトを探して川越まで

南西へ1時間、路線バスの旅。
蔵の街に残る映画館、スカラ座へ。

実は二十三の歳に半年だけこの近くに住んでいたことがありましたが、
当時スカラ座の存在は知りませんでした。

私の中でボサノヴァという言葉がインプットされたのは小学校低学年の頃。
エレクトーンのリズムボックスの中にBossa Novaのボタンがあったのです。
そして桑田佳祐の「恋人も濡れる街角」を中村雅俊が歌って流行って弾いたりしたこととか。
マイブームがやって来たきっかけはそれから大分後、小野リサの曲がCMで流れた頃ではなかったかと思います。

心に心地よい風が吹き込むようで、こんな音楽があるのかと新鮮な驚きでした。
中には子供の頃にそうとは知らずに耳にしていた曲もたくさんあり、懐かしさと切なさと新しさと。
そしてブラジリアン・ミュージックからワールド・ミュージックへ。
音楽の趣味は好き嫌いはあるものの”雑食”で、CDショップでワゴンの中を探したり片っ端から試聴したりしたものでした。
彼の曲のいくつかとその名を知ってはいたものの、その頃はむしろアントニオ・カルロス・ジョビンの劇的でドラマチックな感情を呼び起こす音に惹かれていて、ジョアン・ジルベルトの音ーーというよりはアストラット・ジルベルトのソフトヴォイスを通して退屈とさえ感じていたようにと記憶しています。

家にある彼のCD、マニアというほどでもなく・・Hobalalaという曲は知りませんでした


そんな印象が180度変わったのが2003年、横浜のコンサートで彼の歌を聴いた時でした。
あのつぶやくような歌声と、20分間フリーズ事件を目の当たりにして、ジョアン・ジルベルトという人に俄然興味が湧き、その音に目覚めたのでした。
あの時、なぜコンサートに一人足を運んだのか良く覚えてないのですが、しばらく思考の邪魔になると音楽(感情)を捨てた(どこかで聞いたような・・)時期があったので、きっと再び音を求めていたのだろうと思います。


ジョアン・ジルベルトを探して
Hobalala Auf der Suche nach Joao Gilberto
という本を書いた人はドイツ人、マーク・フィッシャーという人。
そしてこの本を読み、自身は音楽家の視点からの興味で彼を追いかけたという人ーー映画の監督ジョルジュ・ガショはフランスとスイスの両国籍を持つ人でした。
その生真面目さは世間から隠遁している人に会いたいと追いかけるわけだから時に滑稽にも見えるのだけど、、、
ドイツ人ジャズボーカリストが歌うボサノヴァCDを持っていた私としては、ドイツ人や日本人がボサノヴァに憧れる気持ちはどこか似ているんじゃないかと思えてならないのです。

歌詞を改めて日本語の字幕で見ていると、これは風変わりなボッサの神様ーージョアン・ジルベルトの創造というよりは妄想なのかもと思えて来ました。
でもその情熱的な言葉を、本当は知られたくないけれどつい吐露してしまったーーとでも言うように、なんでもないことのようにつぶやいて。
よく響くバスルームにこもって創作していたジョアン。
粗塩添えステーキしか食べなかったジョアン。
人誑しのジョアン。
彼のかつての友人たちや彼が魅了した人々の証言によって彼という人のホログラムが映し出されていました。