Fukushima 50

3月公開のFukushima50 フクシマ フィフティを観てきました。

あれから日本は、東京は変わっただろうか。
私は変わっただろうか?

そう思い返さずにいられないし、そうする責任が東京圏に住む人にはあると思っています。

先日読んだ記事 樋口元裁判長が原発を止めた恐るべき理由 に書かれている、「4号機の奇跡」については映画の中では語られていないけれど、「恐怖のシナリオ」は日本地図に描かれた東日本を(山梨から東北まで)すっぽり覆う大きな円と灰の降る映像で見せていました。

震災・事故のあった日からテレビの前のソファで眠れない夜を過ごし、計画停電が始まると、テントやアウトドアグッズを買い(喘息の父と高齢の祖母は避難所では暮らせないと考えたし、もっと大きい地震が関東に来るかもしないと身構えた為)湯たんぽとホッカイロで暖をとっていました。

3~4日後、電車が動いたことを口実に私は出張で四国に出かけました。
行かなくても良かったのに、行って現実から解放されたかったのだと思います。
鳴門の大渦を見学し、美術館で名画を観て、文旦とトイレットペーパーを買って家に送りました。

出張中来るはずだった月のものが遅れ、”ミュータントメッセージ”に書かれていたアボリジニのある宣言を思い出しました。
(核)で汚染された世界に私たちは子孫を残しませんというような意味合いのものだったと記憶しています。
ずっと前に自分が子供を産まないことをゆるすと決めていましたが、引導を渡された感じがあり、閉経に向かいました。

2年後に訪れた松島、石巻、そして女川。
石巻から先は線路が流されており、バスでした。
残された津波の爪痕。
コンクリートの要塞と化していた港。
小さな港なのに、どこか違和感を覚えました。
高台の避難所が終点で、お店もなく、どうして良いか分からずすぐにとんぼ帰りしました。
そして女川にも原発があることを後で知りました。
東北電力の発電所です。
2018年10月に1号機廃炉が決まったそうです。

どこぞのサイトには事故の際の賠償金を加味しても安いとか、賠償金はどこかの機構から肩代わりされるから東電は潰れないとか、呆れるようなことが書いてあります。

どうしてこの時代に決死隊などというものが必要になるのか。
そんな原始的な設備で作られる電気が安いと言えるのだろうか。
家を捨てなければならなかった人が約34万人もいたというのに。

せめて原発をやめないというのなら、今の技術で災害リスクの少ない土地に新しく作るべきだと思うのだけど、そんな土地は日本のどこを探したって無い。
毎日”ゆれくる”をチェックしているけれど、どこかが軋んで揺れている。

だから必要な電気以外は使わないーー意識の改革。
電気に依存している生活を見直す。
東京にしがみついているステムを剥がす。
必要な電気は家で作る、電気に変わるエネルギーを見つける、そういうイノベーションが必要だと改めて思うのでした。

今週見たタロットの”Tower”、パンドラの箱を開けようとしている自分を感じます。