地球交響曲第八番

今朝早くお誘いを受けて、友人と観てきました。
映画は「樹の精霊の声、すなわち宇宙の声を聴く」というテーマから3つのエピソードを通して語りかけてきます。
私個人が響いたこと、見つけた縁について、忘備録として書きたいと思います。1-8B364F66-1CA9-41D4-B210-6EA499437441
シネマ・チュプキ・タバタ *小さなユニバーサルシアターです

奈良県天河大辨財天社に伝わる能面の復活と災害からの復興、宮司さんがおっしゃった、「私のしてきたことは全て間違っていたのか・・・もう一度やらせてください、と神様にお願いした」という言葉と、能楽師の方が面おもてをつけて見える世界について話したこと。
私も神社のお祭りで舞楽の奉納をした時のことを思い出していました。真っ暗で小さな穴から覗く世界。見えないけれど、足に感じる赤いもうせんと絲鞋しかいの擦れ、かがり火の明かり。面をつけるのは多くは走り舞ですが、それと平舞とではやはり感じる世界は違うのです。
雷に打たれ死んだ部分と苔に覆われた生きている部分が共存している楠の大樹。その樹の生い立ちを語ったのは能面打。
古い樹を能面打が彫る時、精霊ものせると言います。映画には出てきませんが、私の好きな円空仏も同じことだろうと思います。

ヴァイオリンのエピソード。川底から引き上げられた古い木、トウヒの樹から彫り出されたマリア像、ヴァイオリンとなって歌い、人に語りかける樹、そして震災・津波−様々な樹の記憶。
ひょっとしたら、ストラディヴァリウスは、Ringing Cedarのような記憶を持つ木から作られたのではなかろうか?
個人的な繋がりを手繰り寄せれば、私は材となる樹が生育するドロミテの山周辺を歩いたことがありました。
また、祖父は農学校の教師でしたが、ヴァイオリンを弾いていたと聞いています。新潟県の片田舎で、なんだかそぐわないような話です。息子二人と祖母を残して20代前半で戦死しました。祖母から聞かされた祖父の話は少なく手がかりがないのですが、なんとなく、祖父は宮沢賢治に憧れていたのではないだろうか?そんなことをふと思いました。

気仙沼、山と海の繋がりは憧れにも似たもの。それは畏敬の念。それを繋ぐのが川であり瀬織津姫であり人だった。そして熊野。天国と地獄を孕む海。人は自然に生かされている。

彼岸にこの物語を観たこと。
一年前、旅して私が聴いた木からのメッセージ。

 

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