トランスフォーメーションゲーム

Transformation Game
トランスフォーメーション・ゲーム

昨年10月に国立で開催された麻奈さんがファシリテーターをしたゲームに参加したときの体験、
ゲーム後に気づいた事などここに残しておきたいと思います。
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私が今回意図したことは、新しい仕事をつくりだすこと。
そして今日のゲームで90%の達成を目標にしました。

掛け持ちしていた仕事のひとつを終わらせて、
これから先どうしていこうかと問い続けている時期にフィンドホーン・フラワーエッセンスのプロデューサーであるマリオンとの再会を果たしました。
半年後にはFFEトレーニングを再受講することになりました。
この流れを素直に受け取れば良かったのだけど、ゲームを終えるまではそうは捉えられなかったのです。

プラクティショナーの資格をとることはエッセンスを販売できるようにするためであり、”仕事とする”ことは意図していませんでした。
かつてプラクティショナーを目指す途中で責任の重さという壁で立ち止まった経緯もあり、まだその時ではないという思いが根強く私の中にありました。
ですから、私は自分が想像したこともない新しい仕事を期待していました。

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ゲーム中に開く事のなかった潜在意識の封筒に最後まで入っていたエンジェルはAcceptance受容でした。

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とにかくたくさんの気づきのトークンが手元にやってきました。
にもかかわらず、私はフィジカルレベルでゲームを終えました。
これは18年前、フィンドホーンで初めてゲームに参加した時と同じでした。

しかし、この結論に辿り着くまでにたくさんの気づきの経験が必要だったのだと思えました。
学びが遅いのは私の人生における、自覚しているパターンでもあり、
フラワーエッセンスのトレーニングに関しては、内容は違えどこれまでに4回コースを受講、短期間オフィスでお手伝いをさせてもらい、そしてマリオンとともにエッセンスをつくった回数は6回を数えていました。

最後に呼んだミラクル。
そのインサイト洞察のカードには・・・
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ゲームが終わって得た確信は、今回こそはプラクティショナーとなること(資格を取る事)でした。
それこそが私の経験を総合して作り出す新しい仕事なのかも。
“旅を軸にすること”さえも本当は(現実世界と折り合いをつけ仕事とし易い)二次的な代替え案であったのだろうと思えました。

フラワーエッセンスのセッションの軸に、”旅”を置いてワークを創りだせるかもしれない。
そしてトランスフォーメーション・ゲームとエッセンスもひとつの可能性です。
あるいは、旅先でつくったフラワーエッセンスも関係してゆくかもしれないと思えました。

ゲーム後に9割達成できたポーズをとってみると、しっかりとグラウンディングされた感覚がありました。
(ゲーム前に同じポーズをとった時にはは自分の中に芯が感じられずふにゃふにゃとしていた、そんな感じでした)

■ゲームの結果を鑑みて、これから10日間の間に始めるアクション
17年前のフィンドホーンへの旅を振り返り、本にまとめること。
そしてゲーム参加者の希望によりその場でこれからの過程をサポートするフラワーエッセンスを選んでつくることになりました。
これもアクションのひとつでした。

■私にとって”奇跡”とは?という問いに対して
ゲーム中のこたえ:太陽の光 生かされているということ

その後、この質問が心に残っていたので、思い立ってデイヴィッド・シュパングラーの「まわりにいっぱい奇跡が起こる本」を読む事にしました。
そして実現化こそがフィンドホーンで起こった奇跡そのものだったことを思いだしました。
読んでいると、ほとんど忘れていたフィンドホーンでの日々や、そこへ辿り着くまでの道のりが思い出され、
その時の感覚がよみがえると-私がフィンドホーンを目指し、そこで3ヵ月を過ごすまでの過程はまさに”実現化”されたものだったということを思いだしました。
今年に入ってからフラワーエッセンスの世界へ戻ってきた一連の出来事もまた、奇跡の一端だと思えました。
そしてゲームの意図を言葉に落とし込む時、ファシリテーターの麻奈さんが使っている言葉”可能性にオープンになり”という表現を、ディビッドの本の中に見つけることができました。

彼の本は読み進めるのが難しい時もあったけれど、その本の中に重要な答えを見つけました。
ものごとを実現化するという心の技術を習得してゆく過程において必要な”合一という状態の探求”をしてゆくことは生涯をかけての霊的実践であり、その状態こそ無条件の愛unconditional loveと一体感onenessが生まれる場所であるとあったのです。
無条件の愛 その言葉こそが私をフィンドホーンへと向かわせたのでした。

かつて無条件の愛を知るには、その前に狭義の愛を体験する必要があると思っていました。
けれども私は結婚もせず出産もすることなく今に至り・・・
それも私のもうひとつのテーマである精神の自由を探求するためだと思っていたのですが、
ひとりでいるが故に無条件の愛について探求する機会は永久に失われたままだと思っていました。
けれども、別の道からもその境地に到達することができると彼は言っているのでした。

■参加者・ファシリテイターからの気づき

・私が色々してきたことはそれぞれが1本の木でその木々が育って森になる というイメージが沸いたと伝えられました。

・ヴィム・ヴェンダースの映画をすすめられました。  (森、森林保護運動についての内容が含まれている)
セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター 

これらのシェアから、私自身木の写真を多くとっていること、コネクションを感じることを再認識しました。
木のメッセージについて書かれた本も数冊持っていました。

樹木たちはこう語る ドロシー・マクリーン著 

これから読む予定

■旅先でつくったフラワーエッセンスを読み解く
ある方の助けを借りて、このエッセンスのメッセージを聴くことにしました。

レビューはここまで。

灯台もと暗し、というかすでに流れはあったのに、私としては盲目のごとくその流れが見えていなかったのですね。
このゲームをしてからもうすぐ1年が経とうとしています。
起こったことをふり返ると、とても密度の濃い時間が流れたように感じます。

今もまだプラクティショナーのトレーニング中であり、ライフワークとしてしたい仕事と生活を支える仕事との調整は続いています。
そして フラワーエッセンス=ヒーラーになりたいということではないとも。

今更ながらわかったことは、「私はひとつのことを突き詰めてゆく、それは私の仕事ではない」ということでした。
でも、自分にはできないその職人魂のような生き方を私は尊敬していて、いつかそうなりたい、自分も早くそうしなければと思い込んでいたのです。
裏返せば、たったひとつのこと、たったひとりの人を信じられたら、どんなに楽だろうとも思っていました。
その”たったひとつのもの”とは46年生きても出会わなかった。
その事実を見るとき、できなかったと言うよりも、自分が本当に望んでいなかった結果だと思えました。

そして春になると遠くへ行かねばならない、知らない世界を旅したい、そう感じる衝動はやはり私の魂の姿を物語っていて、
家から一歩も出ずに仕事をしてきたこの15年余の状態は、真逆のことをしていたのだと感じました。
単純に、私はもっと動かないといけない。
制約の中で最善を尽くすのでなく、境界を超えて自由に歩くことが、これからの課題なのだと感じています。
忘れっぽいので、こうしてゲームを振り返ることも時には必要です。

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