Representation of Nature

昨日有楽町へ出かけた時、神保町いちのいち で見かけた sola cube
すっごく綺麗でした。

クリアなアクリルの中に自然の完璧なかたちと時を閉じ込めてしまったかのようで、その存在感に惹かれました。
形あるものはいつかその姿をなくし自然に還ってゆく。
それでよいではないかと思うのです。
日頃、人が手を加えて自然そのものを超える要素がなければ意味が無いと思っているのですが、
けれども、キューブに閉じ込められたことでその時の無数に繰り返される自然の営みの中のひとつのかたちは、フォーカスを得てたったひとつの特別なものになりました。

Paul Matthews 彼はPoet 詩人なのですが、昔し授業を受けたことがありました。
そして、いつだったか(死と再生について-なのでイースターの頃だったかも)学期の始まりに彼が話したことの中に、人が何かを創り出す時、そこにはかならず死があると言っていました。
詩を書き留める、それだけのためにも- – – 紙を作るためにはパピルス、あるいは木が必要であり、そこには植物の死があると。
けれども、人が何かを創り出す時、いのちも吹き込まれるのだと。
そんな内容だったと思いだします。

映画フラワーショウを見て、主人公メアリーが訴える”デザインの力”について考えていました。
ガーデンはやはり人の思考と手がつくるものです。
自然の創造にかなう物は無いと今でも思うし、秩序の無い雑草のdominationでさえ、地球にとってはそのままで良いのです。
ですが、それでも人が”自然”にその思考・手を加えて何かを表現したり創り出そうとすることの意味とはなんなのだろうかとずっと疑問に思っていました。
それは、やはり人のための行為だと思いました。
人に伝え、気づきを呼び、そして分かち合うためです。
創り出したものは波動を持ち、人に影響を与えます。
それだけでは無く、ひいては巡りめぐって自然や地球を支え、助ける行為にも及ぶ可能性があるということ。
あるいは、直接的か、間接的か、という違いだけかもしれません。

メアリーの夢がかなうまでの物語であるこの映画の中には、(ネタばれ注意)
フィンドホーン共同体で起きた奇跡に通じる- – – 実現化のエッセンスが鏤められていました。

夢とは自分の本質(子どもの頃、あるいは遠い記憶・・)が望むもの、惹かれるものの中にその種がある
それは自分を満足させるためのものではない 大きな目的が根底にある

必要な試練を乗り越える 夢を思い出すため、そして成長するため

(最初の段階で人に話さない方がよい、けれども言葉にして貼っておくのはよい)

自分を信じてその時の最善を尽くす 行動する(冒険がふくまれる)

奇跡は独りではおこせない たくさんの人に助けられてこそかなう
 (このことから、ホーリー・ソーンの花がどうしてあのような姿かたちなのか意味が分かった気がします!)

そして、彼女の人生のキーとなったソーン・サンザシの木
花言葉は 希望

フィンドホーン・フラワー・エッセンスにもHoly Thornがあります。
キーワードは 受容 です。
この花についての記述を読むと、彼女の夢を追う課程がサンザシのエッセンスのRepresentであったとも感じられます。
Marionの初版本ではキーワードはRebirth、そして Creationとあります。
(私はこの本もできるだけ目を通すようにしています。この本にかかれているキーワードが花のエッセンスの入口であり、出会いとでもいうべきもので、2冊目のフィンドホーンフラワーエッセンスHANDBOOK
でとりあげられたキーワードはより深い本源に通じる表現だと感じるのです。)
こと、グラストンベリーのホーリー・ソーンには、その伝説から奇跡と再生の意味が含まれると感じています。
過去記事 Holy Thorn について

15-FFE015

彼女の物語の中に、これらのキーワードすべてを見て取ることができます。
というのは私個人の解釈でありますが、、
映画に描かれているのは雑草ガーデンの美しさではなく、彼女の夢をかなえるまでの奇跡の物語です。
そして、映画もまた、その物語を多くの人々に伝えるためのrepresentationなのだと思います。

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