Essences in Japan で お世話になっている齋藤佐世子さんが、講座受講のために東京にいらっしゃるというのを聞きつけ、
とにかくお会いしたいとメッセージを送り、そこから転じてセッションを申し込みました。
和楽フラワーエッセンス 神楽フラワーエッセンス プロデューサー齋藤佐世子さん
最近シングルエッセンスにこだわっていた私は、自分で1本選ぼうとサイトの花の写真をくまなく見て行きました。
けれどもすべて内との問答で否定され選べず、それも意味があるのだろうと一晩寝て、翌朝セッションを受けようと決めました。
まだまだ和楽シリーズ、神楽シリーズについてお訊きしたいことはたくさんありますが、実際にエッセンスを選ぶセッションを受けることでそのブランドの全体が体験できるのでは、とも。
今回に関してはフォーカスが定められず、身の回りのこと、18年前の事象をなぞっている現状を簡単に伝えました。
セッションでは花の写真のカードを一枚ずつテンポ良く流していきます。
その中で気になるカードをピックアップしていきます。
カードは流れて行くので考えたり悩む暇はありません。
そうして選んだ5枚のカード。
それを好きな順に並べなおします。
「はい、このまま調合ボトルにします。シンプルなんです^^」
花の写真再度を写真にとっておくの忘れました?
選んだ花のカードを眺めて「何か許せないこと、ありますか?」と尋ねられました。
個別に何が、というよりはこの言葉と頑固はセットで私の中にあり、不動の地位を占めています・・
私は蠟梅の花の香りが何より好きです。透けた花びらなど不思議な感じはありますが、その容姿より香りです。
俗世とのやりとりに許せないは付いてまわる
小さい頃にやたらめったら家族やご近所でもめるドラマを見て、「こんなことのために生きていくのではないはずだ」と嫌悪感をいだいたのをはっきりと憶えていることなど、蠟梅のメッセージと重なると感じた。
そしてまっ白な鷺草ー霊性を高めるには泥に足を突っ込まなければならない
わすれな草に似た胡瓜草ー水に流す前に解決しなければならないことがある
沈丁花ー怖くなって途中でやめてしまったパターン
大楠ールーツを知ることをたすけてくれるだろう
というようなことだったと思います。
18年前のことが現れているのは、その時途中で辞めてしまったからに他ならず、それを今回はやり遂げて体験として肝に落とす。
腑に落ちるまでやることでこの先の魂の目的=生まれた理由が自ずと明らかになるはず。
テーマは「生と死」であり、死を悲しんでいるならばまだ高次の死生感に納得していないということ。
(父が死ぬことが怖かったーそこから発していたコントロールや執着には前世の記憶も死への恐れに関係していたようです)
そこまであがってこなければまた繰り返し生まれ変わらなければならなくなる、と。
「生と死」このことがテーマだと考えたことがなかった。
とても長い時間そのことばかり考えていたのに。
答えを聞いているのに、聞き流してきたとも、、、
そしてこう書いていてわかったことがひとつ。
私は「繰り返されること」にひどく腹を立てていたのでした。
他人の繰り返しに15年、あるいは25年腹をたて続けたあげく、今では燃え尽きた炭の様になり無関心になっていました。
長く繰り返すことには麻痺し、考えないというパターンまでも身につけて。
けれども、私自身も繰り返していたんです。
「私はなぜ、生かされているのか?」そこに答えを見つけようと役目とか使命とか天命とか、職業あるいは役割を求めては探す〜夢中で何かする〜けど途中で怖くなって辞める〜そしてまたわからなくなる ということを繰り返して来たのです。
今、泥に足をつっこんでやらなければならないのは「人はなぜ生きているのか?」「なんの為に生まれて来たのか」その答えを見つけること。
それはどちらかと言うと生まれることを選んだ魂の「意志」の部分。
そして、いままでと同じやり方をしていてはダメだと佐世子さん。
いままでとは違うことをするのだとアドヴァイスをくれました。
たぶん、「自分でなんとかしなければ」というのが古いパターン。
Findhornから持ち帰ったエッセンス一式を自分のために選んできた。
絵のこと、見えるもののこと、セッションでのつまずき、誰にも相談してこなかったのです。
2年前、IT会社で「私はできると証明できなかった。負けたのだ」「私は壊れる寸前だ」と認めてきっぱり辞めたら状況が変わり、
父との問題を「自分では解決できない」と降参したら多くの人に助けられた。
応援すると表明したら実は応援されるようになり、Essences in Japanのサイトもそうでした。
その最たるものがこの1ヶ月の出来事。
8月の終わりに摂っていたのは「ふきのとう」のエッセンス
いすゞさんの英会話+アレキサンダーテクニーク
amana flower essence
神々の花園 エッセンス
トランスフォーメーション・ゲーム
そして和楽フラワーエッセンス
これをセラピージプシーだとは思いません。
それぞれのセッションを通してリレーのように理解と課題を持ち越しながら、すべて繋がっているとわかりました。
もちろん、もっと前から、そしてこの先も。
(佐世子さんの紹介されたセミナーの波動と現象の図のようだと、私自身にあてはまると感じました^^)
たくさんのエッセンスやツールと「人」の助けを経て、今やっと私の核の硬い殻にごつっとドリルが当たった音がしました。
お会いする前に、ひかげのかずらの臨床がしたくて佐世子さんに頼んでいました。
佐世子さんはそれと「葛」を持って来てくださいました。
今、これが良さそうだと。(あ、やっぱり・・・避けてたんですけど)
なのでコンビネーションが届くまでくずのエッセンスを摂って待ちます。
ここから独り言ー
話している中で、「トランスフォーメーション・ゲームっていいよね??」「いいよね〜」「いいよねえ!」と何度か言及。
そして「生まれるというところを知ったらいいんじゃないかな?」と佐世子さんは言った。
そもそも女性性に慣れていない自分も自覚していたし、婚期はスルーし、結婚せずに産むという微かな可能性も3.11で放棄。
産むことをしていないので、そういう意味でも理解していないんだろうな。
出産にともなう女性の強さも自分にはない。
生まれることは一般的には祝い事だし歓び・・・?
有り難いことだというのは頭ではわかっているけれど、生まれる赤ん坊自身には歓びはあるのだろうか?
退行催眠とか、ヒプノとかしてみたら自分の感情がわかるだろうか?
私は生まれるとき、母は産科ではない病気の人と同室に入院し、お医者さんの都合で陣痛促進剤を打たれて予定より早く出産されたそうだ。
満月の火曜日に生まれた。
母も不安があったようだし、生まれてくる気のない胎児としては怖かったのかもしれない。
急かされるのが嫌だから憶えているのかもしれない、などと思ったり。
これは想像だけれど、男子じゃなくてがっかりされたかもしれない。
記憶には無いけれど、3人目には、と期待していたみたいだから。
長男でなければならなかった所長女として生まれ、結婚もしなかったので私の代で家系・姓は途絶えてしまう。
そんなこんなも歓びの原点を欠いているように思うのは被害者妄想?
トランスフォーメーション・ゲームは生まれるところから始まり(なかなか生まれないことも)、最後は上がり(それを死とは言わない)が待っている。往々にして上がるには長い時間がかかる。
佐世子さんの言う、生まれるところ(と上がる所)を何度も体験したら、何かわかるだろうか?
それをするにはーファシリテータートレーニング?