Healing day

足も治りかけなのに仕事で無理をして、燃え尽き状態になりました。
けれども炎症がおさまり冷静になってゆくと、私は一体なんのために危機的状況にまで自分を追い込んだのか?と問うことになりました。
たかが日給のために、です。
しかもそれは大企業の利益を生みだすための機械作業が滞らないようにするために、です。
でも、怪我をして2週間仕事を休んだ後で、働かねばなりませんでした。
そのわずかな日給が保証されることで心は一時安心できた訳です。
自分が引き受けると決めた目の前の仕事を一生懸命やる。
それはいいのですが、でも下手したら治療に行かねばならないほど体を酷使した訳で、それはやりすぎでした。
なぜ外からの要請には全力を注いでしまい、自分のしたいことのために全力を注ぎ、そして限界を越えようとしないのだろう?とも。

その一方で、翌日観に行った映画に私は癒されました。
冒頭の戦場のメリークリスマスでウルウルきてしまい。。

本当に長いことこの方のファンでした。
でもここ数年は社会運動への参加の色も濃く、なんとなく離れキャッチアップしてきませんでした。
その間のことやー普段は見えない音の制作風景、忙しいスケジュールの中で紡がれる一本の糸のような思索、そして半生の足跡と舞台裏を垣間見ることができました。
最後の方でピアノを弾く指先がアップで映されたのを観ていると再び涙が。
やっぱり好きなんだな、と。
音の世界も、この人も。
祈りのコラール。
忘れていたけれど、私の喜びの源の一つは音楽でした。

そして2本目は地球交響曲ガイアシンフォニー第6番。
その夜は特別公演で、シンギング・リンの開発者の方のトークショーがありました。
映画が始まる前にシンギング・リンのヒーリングを体験、そして少し触って音を出させていただきました。
大いに興味をそそられました。

とにかく、どの楽器もアーティストも興味深く、意識の波間に揺られながら聴いていました。
ヒントになるエピソードもたくさんありました。
ラヴィ・シャンカールは全てを捨てて弟子入りし、音楽に没頭しました。
そして危機を迎え生死をさまよった時には、高僧に出会いマントラ(誰にも教えてはいけないその人だけに与えられる真言)に救われました。
ロジャー・ペイン博士がニューヨークを脱出したきっかけは、窓辺に置かれた奇妙な形の金具でした。
(それがシンクロニシティだったのです)
クジラの歌は、5次元への郷愁。
ピアニストのケリー・ヨストは川の流れる音からー音楽を学びました。
自我を削ぎ落とした音は私には、、聴いた中ではタイスの瞑想曲が一番その音に合っているように思えました。
挿入されていた少年合唱によるキリエ・エレイソン。
フィンドホーンでのテーゼの時間も懐かしく想い出しました。 

神楽坂にシンギング・リンのサロンがあると聞き、私は後日伺おうとその夜は席を立ち、気づいたら足をかばいもせずスタスタと歩いていました。
私に必要なメンテナンス(アンカーとなるサウンド)はシンギング・リンでできると思いました。
そして自身のヴォイストレーニングの必要性と、それに良い方法を想い出したのです。

やはり6月、St. John’s Festivalの準備中でした。
私たちのクラスがこのフェスティバルの担当で、私はステージでの短いスピーチ役に名乗りをあげました。
初夏から夏かけて、季節は輝いてー私は満たされた気持ちになり、ここでの生活の締めくくりの記念にしたかったのでした。
その時クラスメイトの一人が予想外の行動に出た私に驚いて、アドヴァイスをくれたのです。
「林の中で練習するんだ。必要なことは自然が教えてくれるよ」と。


カレッジの裏手の丘。一面のバタカップの花畑、時折野兎が駆けてゆきました。