新月の・・・

最近、SHOP用に本を仕入れました。
一度にたくさん仕入れることはできないけれど、塩漬けになって売れ残っても自分で手元に置きたいと思えるものだけ。

そうしたら、ある傾向に気づきました。

数年前に知ったこの方。
絵巻物のような俯瞰図を描かれています。

https://shop.journey-on.jp/items/23586185

そして気の遠くなるような時間をかけて、全てのものが一瞬に閉じ込められたような絵。毎日美術館に自転車で通い、制作過程も見せるというものでした。

https://shop.journey-on.jp/items/23586326

21の誕生日に店の仲間にリクエストして買ってもらった画集。
当時いただいたのはオニオンペーパーに印刷された特殊なものでした。

幼稚園の頃、家にあった百科事典のような図鑑には安野さんのさし絵が。
たくさんの小さな人々や家やお城が描かれていました。
でも静けさを感じる絵です。

言葉で全てを語るには時間がかかります。
その時間をもどかしく感じることが多々ありました。
話したいこと全てを伝えるには時間が足りません。
そして誰かの話したいこと全てを聴くにも時間が足りないと感じます。
文字で書くことも同じだし、絵を書くときも–果てしない点々を描きながらそのもどかしさは変わりません。

これらのたくさんの情報や人の営みや思想が詰まった絵を見るときーーもちろんそこには気の遠くなる時間が費やされているのですが、そうして生み出された圧倒的な緻密さを無視して全体から受け取るイメージというものがあり、私は安堵するのです。
そうして見たいところに顔を寄せてじっくり見ます。
見たいことろを選べるのです。

すべての絵の中には生があり、そして静寂があります。
時は止まるのです。

言葉ではそうは行きません。
一方向に順を追うしかありません。
スキップしては意味をなさなくなります。
その上言葉に共感できなかったら費やした時間は悲劇です。
私が小説嫌いだったり、人の話を聞くのが苦手な理由はそんなところにあります。

しかし、意味の理解できない言葉–Unknown Sound [Light Language]を話し、歌い、描くことには抵抗がありません。
言葉を選ぶ必要がないのでそれに伴うストレスがないのです。
「言葉にしないことでごまかせるから」
そうして避けてきたのも事実だと思います。
だからそろそろ言語化しようと思います。

けれども見えない次元からの意味不明な言葉には膨大な情報が載せられています。
日本語にすること、私の言葉にすることは一部を切り取ることであり、フィルターを通すことになります。
やはり面倒臭さや不自由を感じないでもありません。
ーーでも、それをする方向で行こうと思います。