春分雑観

20日の朝、一本のSoul Waterができました。
続く連休中ーー長い物語を二つ見聞きしました。
一つはプレアデスの視点から見たスターシードの物語です。
今生の自分に深く関わりがあるのはシリウスの要素ですが、昨年からはプレアデスにフォーカスが向かっているのを感じていました。

もう一つは孔子の生涯を綴ったドラマです。
私の中での孔子の印象は、”表情を変えず道徳や学問を説く窮屈な人”というものでしたが、ドラマの中のその人は(一つの解釈でしかありませんが)子供のようなイノセントー無邪気さと頑固が同居して、少し理が勝っている人でした。

人生の内に何度も旅をし、晩年に諸国を放浪した後に国には帰りましたが、家族との縁は薄く独りになります。最期に見た夢うつつの中に麒麟が登場するのですが、孔子そのものが乱世に生まれた麒麟であったという結びでした。

見ている途中から、自分の過去の記憶にリンクする何かがあるのだと感じていました。そのドラマを今日やっと見終えて、その感覚が間違っていなかったことを確認しました。

孔子の中の自我はむしろ学問や理想を広めることにあり表に出ることを避けますが避けきれず、国のシステムから変えようとしますがーー結果多くの場面で報われませんでした。その葛藤に私もまた多くの葛藤を感じました。
多分、私は弟子として一緒に旅をした人間だったのかもしれません。
(サヌカイトの音に惹かれるのも古代中国の時代に関係があるのだと思います)
いくつかの中国ドラマに惹かれて観るたび感じたことは理想の世界を見たいが為にその”理想を掲げる人に付き随う”というパターンでした。
(逆を言えば、人徳が無く馬鹿な主人には従いたくないと強く思うパターン)

この休み中に迎えたAngelはHealingであり、今朝迎えたのはAuthenticityでした。
Authenticityの天使のメッセージ
『あなたのユニークな食材をそのインスタント食品に加えて見なさい。本物になりなさい。自分自身を表現しなさい。あなたの独創性を表に出し、純粋な潜在能力を発揮しなさい。』
別の単語で言い換えるならTruth。

最終話の中で孔子は弟子一人一人の個性と才能ーー器について語ります。
残念ながら生きている間に語られたのではないのですが、そのシーンには自分の人生を”理想”に付き随うことに費やした弟子への癒しの瞬間でもありました。

「ーー四十にして惑わず、五十にして天命を知る」
一ヶ月先には五十になる私が今思うことは、世界を変えるのでは無く内側から変わることの必要性。
誰に依るのでも無く自分に由ること。
自由であり自発性。
それらを発露させるきっかけが、”死”以外にもあるということ。
それは叡智に触れることであり、愛に溢れることでもある。
更には光や音の響、生命の源である水にもあること。
そんなことを考えています。