巡り廻る

二十年前イギリスで暮らした時に感じたことは、日本は新しいものを追い求め無駄な消費を拡大させることによって経済を成長させ続け混沌を生み出していると言うこと。流行に流されやすい。
都市には世界中の食べ物があり、どこよりも物で溢れている。
けれども日本での(東京での)暮らしは人の尊厳に欠けーー精神が壊れそうになり仕事を辞めると言うサイクルを繰り返し決し豊かとは思えなかった。

けれども私が日本を恋しいと思ったことの最たるものは水でした。水で濯ぐと言う文化や風呂の習慣、水の豊かさだったのです。

今までずっと続いてきて、これからも続くと信じられた世界がCOVID19によって砂上の城のようにあっという間に崩れ、世界中が流れる先を見つけようとしています。
そんな時に思い出したのもまたイギリスでのことでした。
私はシュタイナー教育の教師を養成するカレッジの英語のコースで学んでいました。最初は夏休みの短いコースでしたが、ここで勉強したいと思い学校に相談しました。
奨学金は二年目以降に申し込むことができ、一年目には頼れません。
生活費や一度日本に帰ってイギリスに戻る旅費等を除いて使える預金約30万円が手持ちにあり、20万円を家族に借り始業式までに支払い、残り20万円を日本に帰った後三ヶ月で返済すると言う約束で入学を認められました。
このようなことはおそらく普通の学校では通用しないことですが、シュタイナー学校だったために通ったことでした。
そして住む所も決まっていない為、オフィスに探してもらうよう頼み込み日本に帰国したのです。(村なのでアパートはなく、寮以外に住む生徒は皆一般家庭の一部屋を間借りのスタイルでした)
その間に奨学生向けに地元のお婆さんが部屋をボランティアで提供してくれると言う貴重なオファーを断った学生がいた為、私にその部屋がまわってきたのです。
ランドレディ(家主)は92歳のひとり暮らしのお婆さんで、学校から歩くと40分くらい、自転車で15分くらいの場所でマイケルホールと言うワルドルフスクールに近い住宅街の家でした。
週1回のお掃除と見守りが条件でした。
最初は洗濯機はOKだけどキッチンを使わせてもらえず、夕暮れの公園でサンドイッチを食べてこれからどうしようと不安に駆られていました。
お試しの一週間が過ぎた頃、もう一度交渉し洗濯機の代わりにキッチンを使わせてもらえることになりました。
お弁当は自炊の友達に作ってもらったり、夕飯時には時々寮のキッチンを借りたりして、最後の夏休みにはキッチンでアルバイトをし(アルバイト代はイタリア旅行に・・)、なんとか一年を乗り切りました。

他にもーー例えばファウンデーションコースの生徒たちはフランスのシャルトルへコース旅行に行く為、足りない資金をファンドレイジングで日本食の夕べを企画したりもしていました。
そう言う通りいっぺんでない融通を効かせるようなところがあり、困った人は何らかの形で助けられていました。
それはシュタイナーの講義が経済の分野にまで及んでいた為であり、学校を取り巻くコミュニティには有機的な経済下地ができていたからだと思います。

突然の危機から一年が経ち、株価が急騰するなど未だ虚構も存在するけれど、私たちのお金の使い方は変わって来ています。
いかに自分が得をするかではなく、支え助け合うために、心を豊かにするためにお金を支払うように変わって来ています。
私個人は必要とするものよりも直観で気になるものごとにお金を先に使うようにしています。これは実験です。いつもそれは後回しにされ、いつまでも気になるからです。

一昨年の晩秋、冷たい雨の降る日に電車の中でホームレスの人と同じ車両に乗り合わせました。
それを見て恐怖に怯えました。こんな寒い日に休むことのできる家は無く、食べ物を買うお金さえも無い。
助けを求め、必要としているのに悪臭から人に避けられる。
そのことが私を芯から凍えさせました。
少しのお金と持っていた使い捨てカイロを隣に置いて電車を降りました。

その直後、私のしたいことでお金を得るためには(おそらく近道として)既にお金を持っている人にどう訴えかけるかを考えるようアドヴァイスされました。
お金を持っていても精神的に満たされていない人はいると。
でも、お金をたくさん持っている人のお金の使い方や考え方を私は経理と言う仕事で目にしてきたこともあり、それを聞いて素直には肯けませんでした。

私の人生において若い頃から少なからずお金との葛藤がありました。様々な仕事に就き、収入のアップダウンを繰り返し今があります。
以前はーー若い頃に望んだ豊かさや一般の人の常識とする安定や贅沢を私も追い求めていましたし、お金のことで思い悩むことを卒業したいとも。
けれども、ようやく私は今を受け入れるようになれたと思います。
私の求める豊かさが何なのかわかり始めたーーいいえ、思い出せたように感じるのです。

血管が血を、酸素を身体の隅々まで運ぶように、水が循環し大地を潤し豊かさを与え、清浄さをもたらすように、私たちにもたらされた豊かさが水のように自由に流れていくことを想像します。
少なくとも、私の個人の活動では有機的になるように、そのような試みをしてゆこうと思います。

私の小さな役目とは、サインに気付き情報を伝えること。
その人が魂と共に自由に生きることに眼差しを向けること。
そして、地球と生きること。

未知なる音のセッション
インテュイティブカードセッション