昔からこの時期にどういう訳か寒いところに出かけて行くパターンが自分にはあると感じていました。それは私にとって大事な意味を持つものと出会う季節でした。
その原点が北海道への一人旅でした。カナダへの旅もありましたっけ・・
そしてこの冬、先週の透視能力開発講座に続いて楽しみにしていた使えるマヤ暦実践講座に出かけてきました。
マヤ暦を使うということは、すべてのものを貫くエネルギーシステム、関係を理解することであり、それが進むことによってシンクロニシティが起きやすくなり、そのシンクロニシティは人生が流れに乗っていることの確認スタンプになるのだとのことでした。
講座の様子は主催された佐藤加陽子さんの記事でどうぞ〜
GORAのまんま 人生はスーパーマリオだっ!
この先は私自身の咀嚼過程でございます・・
KIN233
赤い空歩く人 白い風 12
ガイドをしてしてくれる ガイドkin | 赤い蛇 | |
互いに学びあう 反対kin | 青い夜 | |
互いに秘かれあう 神秘kin | 黄色い星 | |
以てるもの同士の類似kin | 白い世界の橋渡し | |
鏡の向こうのもう一人の自分 | kin28 黄色い星 青い手 2 | |
絶対反対kin | kin103 青い夜 黄色い人 12 |
マヤ暦神聖暦ツォルキン より
家族のKIN 解析は後でするとして・・
祖母 白い鏡 黄色い星 11
父 黄色い星 青い嵐 10
母 黄色い戦士 赤い蛇 12
妹 黄色い星 青い夜 6
妹 赤い月 黄色い種 6
赤い空歩く人 人を育み、その才能を伸ばす
私が始めた個人活動 Journey on のビジョンはこれに一致しているように思えます。 「旅する魂を応援する」2015~
具体的な策はなくできることをしながら模索中でした。
白い風 メッセージを伝える 共感し合える相手を探すと良いとありますが、この部分が刈取りの時期に入ってイギリスから帰国した時〜数年前まで満たされなかったという思いが。それは畑違いの場所に長くいすぎたのが原因だけれど、異性に求めたのも間違いでした。思えばこの間シンクロニシティのスタンプは無かったことに気づきました、、、遅!
しかし遡れば、ウォーターバイオレット的なタイプが14歳に始まった白の時期から表出していたことも大きいかもしれません。
また、アチューンメントや言葉ということについて考えるのですが、どちらもこちらの紋章の要素だと思えます。
これから赤い紋章のキャラを生かそうとするならば、課題は対人コミュニケーション。
音12 問題を収束させる、相談を受ける、壊した後に直す人 というのはプラクティショナー、あるいは地球や自然の回復を思う傾向に現れているかもしれないですが、面白いのは共にビジネスをすると良いという音2に書かれている記述が、割と自分の状態に近いと思えたこと。もし、最終形が12だとするならば、2から12のギャップは結構大きいのかもしれません。
この後、和楽エッセンスの試飲会で花カードから選んだエッセンスは太陽の紋章(通称ゲームにおけるキャラ)、とウェイブスペル(通称中の人−魂の本質)の状態を自然と意識したものになりました。
左からアケビ(楽シリーズ)、スミレ(和シリーズ)、サクラ(和シリーズ)のエッセンス。
詳しくは別の記事で・・
驚いたのは、人生の時期を見て行くとこの切り替わりははっきりと符合していることが読み取れました。やって見ると面白いと思います。
======個人の履歴ですので読み飛ばしてください
赤 (始) 〜2歳
白 (耕) 〜14歳
青 (変動)〜26歳 14歳の夏に引っ越し大きく環境が変わり、15歳の冬から、特に父の仕事上のトラブルから翻弄され、17歳で家を出た。
21歳で体を壊しかけ転職。23歳 〜死生観が変わったことにより思い悩んだ時期。
黄 (収穫)〜38歳 その結果、27~29歳 スコットランド、イギリスへ。この準備からの2年半は充実した収穫期だったと感じられた。
しかしすぐ畑違いの分野へ足を突っ込んでしまう。突っ込んだこと自体は悪くなかったが、長く留まりすぎたということだと思う。変動の期間に較べれば金銭的にも恵まれ趣味を楽しむ余裕が出来、そういう意味での苦労はなかった。
赤 (始)〜50歳 38歳祖母の脳梗塞と前後して父・祖母との同居を始めた。 家族問題 介護の始まり。
41歳から外での仕事が入り、新しい風が吹き込んできた。
43~44歳の年、一時的に3つの仕事場を掛け持ちで決算を3回、引っ越しを4回することに。自分の家を含めガタガタと環境が変わるところのサポート。
以来仕事・ライフワーク、属する場所、方向転換について考えている。
猶予があるとすれば後3年。この間に方向を決める必要がありそうだ。
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そして、この世は物質の世界なので、嫌々でもやっていること(行動している)が強く影響する世界だと講師に言われドキッとしました。
10年以上も人間関係に失望し、適性を感じられない仕事をずっと続けていたからです。
この二年ほどで嫌だから辞めたい−ではなく、仕事があることに感謝しつつ、でももう本当にそろそろいいかなと思えるようになってきました。
今すぐ手放せないのは次の仕事の準備ができていないと感じているから。
そんな中で巡ってきたこの節気。
講座を終えた後のおしゃべりで、自分がワクワクするものに出会ってしまいました。
想定外の方向に笑わずにいられません。理解を超えるものに出会うと人は笑うのだそうです。
「それ」には私は今までしてきたことの全部が関わっていると思えました。
(エマーソンカレッジでソーシャルスタディのクラスで習った新しい道・仕事を見つける方法で、自分にできること、学んできたこと、経験を全て紙に書き出して、その全てを使ってできる新しい仕事を考える、あるいは創り出すというワークがあったのですが、そのことを思い出しました。)
そして最近感じていた違和感の数々が解消されたと感じました。
思い出したのは「宇宙船とカヌー」
宇宙船に乗って宇宙へ飛び出してゆく(父)か、それともこの地球で現代文明を捨て自然と共存する道をゆく(息子)のか、という本でした。
私は何度となく自分はどちらだろうかと問いかけてきました。
その時々でどちらかに傾いていましたが、今の自分は後者の道を行くことは難しさを感じており、二十年前に学んだことのいくつかが色褪せて見える気がしました。
本当にシャーマンのような使命を持つならまた先住民族として、あるいは大自然の中に生まれるようプログラムすれば良かったはず。でも今を見る限り、私は街に生まれてそれを思い出せず葛藤を味わうようなmost ambitious plan!を描いたようだということがわかりました。
目的を一つに決められなかったのは限定したくなかったから。選びたくない、予定は空けておきたい、そういう無意識の選択が根底にあったのだと思います。
そしてイギリスの保険制度NHSにおけるGP(General Practitioner)的な存在、平たく言えば自分はヒーラーの適性よりその前に、どの方向のケアを受けるべきか相談できるようなアドバイザー的なもの、初期治療を果たすものに成れたら今まで浅く広く興味を持ってきたことを活かせるのではないかとも思っていました。
(実は留学中一度耳鳴りでお世話になったのですが、残念ながら「現在の医療でできることは何もありません」と言われた経験が^^そのGPは、言い換えるなら西洋医学だけでは役不足だったわけです)
そして、狭い自分の知識に頼ることなくアカシックレコードから情報を取り出すように、その機械が役に立つのではないかと想像したのです。
今生のゲームでの私のキャラは人を育てることに幸せを感じる設定であり、人にわかってもらいたいと思いながら遠ざけるところには課題が眠っているようです。でもそれも人と関わる距離の調整さえできれば良いのではと思いました。私にはプラクティショナーやヒーラーの距離は向いていないのでしょう。
さらには人が魂のプランに沿って生き出したら、能力を発揮し出したなら、壊れかけた地球全体の問題は解消されてゆくのではないでしょうか?
だから人を応援する。
数日前に再び現れたpurple saxifrageのカード。
ここでもスタンプが押されました。