ヒーリング・ザ・コーズ

以前FFEトレーニングを受けたにも関わらずプラクティショナーにならなかった理由はいくつかあるが、私自身がハイアーセルフと繋がっていなかったことが大きい。
最初にフィンドホーンを訪ねて以来、私の悟性でない”何か”からの導きを感じて進んではきたものの、それが何なのかもわかっていない。
そのような存在とコミュニケートできる超感覚的知覚を確かなものにするためのトレーニングこそが必要でやりかけたけれど、
クライアントにどれだけ真摯に向き合えるのか、そう問いただした時に今の私では責任が持てないし、人間として未熟だということは明らかだった。

友のひとりはダウンジングをすることの危険性を私に警告した。
そして恩師は”君をここに連れてきたものはきっと良きものに違いない。けれども、そのようなものに訊かなくても自分の意思で歩けるはずだ。”と迷う私に言った。
“瞑想は良いことだけれど、それよりも行動することが重要だ”という言葉も何度となく耳にした。
仕事柄コンピュータへの依存が大きかったこと、まわりの人の理解が得られなかったことも大きかった。

けれども、今思えばそれらの助言はすべて”男性”からのものであった。
10年以上の月日が経った今、象徴としての”男性社会”に降参したという状況に私はあった。
実は昨年引っ越しをした際に、17年前にフィンドホーンから持ち帰ったエッセンスキットをすべて処分した。
(さすがに経年劣化でボトルも痛み、中身も大丈夫なのか確信が持てなかったので)
そうして手放したのに、同時に私はふたたびエッセンスを必要としていたのだ。

今年になって再びフェイスブックでマリオンを見つけつながりを求めると、4月に12年ぶりでマリオンと再会することができた。
5年ぶりだという来日によるFFEトレーニングのことを知ったのは開催の1週間前、何日か悩んで数日前に参加を決めた。

トレーニングに参加してみると、独学しようと思っていた時には考えもつかないような気づきがたくさんあった。
今回こそはプラクティショナー認定を目指そうと思う。(あくまでもエッセンスを扱える資格を持つという意味で)
けれども花の言葉を理解し、降ろされた叡知と共に働くには、自身のハイアーセルフ、あるいは内在する神とつながりを確立しなければならない。
トレーニングを再開するにあたって、具体的に必要なのはアンタカラナ=橋を渡すこと。
求めればHigher worldの存在は応えてくれるとマリオンは言った。
ならば、内なる声に求めよう。

そしてチャクラや全身のチャネル・ナディの浄化をすることが必要だった。
自覚している心身の不調は山積みなのだ。
もうひとつわかっているのは”すべて自分で解決しなければならない”という強いパターンがあること。
そして、それには限界があるということも身に染みていた。

そんなことを思いながら、このトレーニングをサポートしてもらおうとエッセンスを選ぶことにした。
インスピレーションによってコンビネーションの中からペンデュラムによって選ぶことにした。

Angel : Risk
カヌーに乗ったエンジェルが荒波の中パドリングをしている様子
*このカードを引いたのは初めて!だ

ハイアーセルフと繋がる     ヒーリング・ザ・コーズ
内在神とのカンナガラを意識する プロスペリティ

今回はヒーリング・ザ・コーズを選んだ。
そしてプラスしたのはエアーのエッセンス。

エアー 1
ウォータークレス 2
エインシエント・ユー 3
エルフカップ・ライケン 3
ゴース 2
シカモア 3
スノードロップ 2
モンキーフラワー 2
ローワン 2

10/17
10/5のエッセンスはまだ必要
両掌、喉(顎に近い)にセンセーションがあった。
“原因”とは何なのか?瞑想してみたが、答えは得られなかった。

10/18
喉、眉間にセンセーションがあった。
曲: チャイコフスキー 1812年(祝典序曲)第5部Allegro vivace の部分
1812年はナポレオンのロシア遠征の年。大砲に鐘は鳴るし、派手な曲だ。
イメージは得られない。

10/21
掌、喉にセンセーション
すべてをむすぶ
画:縦に直線 その上に6つのインフィニティ8<チャクラだと理解した。
Q全て結ばれていますか?
第3と第4チャクラの間がX

この日は鳩尾に身体的に不調を感じていた。下着がろっ骨を圧迫する
出かけたこともあって11時には就寝。
頭上にボトルを置いたまま寝る。

10/27 Angel:Responsibility
出がけにツユクサのエッセンスのことを知り、友人のことを想いだしていた。
そしてまた涙した。
私が17年前にフィンドホーンを訪れたのも、今このような道を歩いているのも22年前の彼女の死があったからなのだ。
長い時間をかけて理由を探し、納得し、癒して来たつもりだったけれど、一瞬にして痛みは蘇った。
たまたま彼女を思い起こさせる花を見て、そして歌を耳にしたからだと思っていたけれど、夜改めてエッセンスを摂って瞑想するときこえてきたのはその曲だった。

このときの喪失感を、友達とも、好きな人とも、家族とさえも分かち合えないのだと、人はどこまでも孤独なのだと深い海溝の闇を覗いたように私は受け止めた。
the cause とはこのことなのだろうか。

10/30 Angel:Transformation
瞑想をすると浮かんで来たのはあの曲、そして彼女のことだった。
そのまま辿ってゆくと言葉が湧いて来た。

“本当は助けたかった”

helplessness
ひいては私では役にたたない、必要とされていないという感情。
この無力感は私の中で反復しているテーマだと思った。

11/7
“本当は助けたかった”
これが本当の理由だったのだとわかった。

彼女とは高校3年生の時に出会い、夏休みをともに過ごした。
その後彼女は大学に進学し、入退院を繰り返していた。
学校も違えば育った環境も違い、手紙でのやりとりをしていたものの実際に会って話した機会は数えるほどだった。

なぜ、彼女の死がこんなに深く私に影響を与えたのかと思うところもあったのだ。
けれども、言葉を押し流してしまう程強い感情は涙になってしまい、理解を妨げていた。
長い間”死に対する恐怖”そのもののショックがそうさせているのだと思っていた。
もちろん、そのことも理由のひとつだったのだろうけど、それだけではなく私の良心(魂)の呵責によるものだったのだ。

当時、私がした以上にできることは何もなかった。
そしてアイリーンの言う通り、彼女は役目を終えてこの世を去ったのだ。
それでもなお、今も心にしこりがあるのは私の中の問題なのだ。

人の慰めになりたいというのは言わば2次策、妥協案だった。
慰めは一時的なものであり、傷は癒す必要がある。
そして癒しはその人自身の内から湧き起るものだというのが今の私の理解だ。

自らを癒す その助けとなるのがフラワーエッセンスだと思っている。
そしてフラワーエッセンスとともに一助となりたいというのが私の良心の望むことなのだろう。

12/6
スージーのセッションを受けてわかったことがあった。
私が今の道を進もうとしているきっかけはやはり彼女の死があったからであり、
それは彼女の残したギフトであり、私のライフ・パーパスに深く関係しているのだとスージーは言った。
そして彼女はかつて私のsisterだった。
だから、そうだったんだ。
そして、まだ癒えていなかった。
気づいただけー言葉で、マインドで理解しただけでは不十分だったのだ。

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