和楽フラワーエッセンスお茶会

藤万紀子さんの ヒーリングサロンLamiel
和楽フラワーエッセンスお茶会に参加してきました。

ここのところの冷えと帰宅時の疲れが身体にこたえ、昨夜はPCを早々に閉じてしまいました。
そして今朝、昨日起きたことの理解が降りてきたので書いてみようと思います。

花カードを引いてみます

その前に、何にフォーカスしようか、そこが問題でした。

どうしようかな–と藤さんに相談すると、「では筋反射で見てみましょう」と言われ、
テストしていただくと、「あなたの思う通りにやってみればいい、応援しています」要約するとそんな意味のメッセージをもらいました。
ここのところ仕事のこと、お金のこと、学びたいこと、三つ巴のように巡っては目の前に現れるテーマのためにかなり頭を使っていました。
やはり仕事のことだな、と思いそのことにフォーカスし、「仕事を創り出すことにおいて、今必要なことは何か?」と訊いてみました。

和楽フラワーエッセンスの和シリーズは、感情のレベルにおいて問題を解決します。
ですから、思考の解決策を探してしまう自分にとっては意外なカードが揃いました。

一番が大待雪草(スノードロップ)”愛されていることを知る”
この花にはここ1週間くらいのシンクロを感じています。
フィンドホーン・フラワーエッセンスにもスノードロップのエッセンスがあるので、違いと共通性を感じながら。

私にとって愛されるとは「理解されること」と同義です。
「教育」その人を成長させるものもまた、愛だと思っています。
太陽の光、もそうです。
私は20代〜30代の頃特に自分の中の複雑さは他人には理解できない、理解されるわけがないと思ってきました。
理解されない=愛されるわけがない、とも言い換えられます。
特に男性に対して好きな人に「やっぱり理解されなかった」と言う体験が何度かあり、そして唯一私を理解してくれたと思った人には振られました。
やがてそれらの体験が「男性のつくりあげたシステムや社会には私のしようとしていることは通用しない」と思うことになったのかもしれません。仕事とは社会活動ですし、現代社会の理不尽や生きづらさは男性が作り上げたもの、と言う思いも持っていました。

5番目にしょうがないか、と「嫌い」のグループから一枚入れたのが柘榴でした。
“母親との関係”
そういう意味では私を最も理解していないのが「母」でした。
私は妹と年子で、1歳違いです。その下の妹は3つ離れています。
私だけ母乳で育ちましたが、歩く前には妹が生まれ、3歳でもう一人生まれたことを考えると、
何も覚えてはいませんが、乳幼児としては母に愛されていないと思ったかもしれません。
バーストラウマもありましたから、この世界全体からサポートを受けていない、愛されていないと思ったことは容易に想像できます。

4番目は桔梗。”Noと言える”
この花は祖母が好きだった花です。
喧嘩を嫌っていた祖母は、どんな辛い目にあっても言い返したりはしませんでした。
ずっと黙って耐えたのです。
命日が近いので反応したのかなと思いましたが、よくよく思い出してみると・・
この祖母は愛嬌のある人で、晩年には周りの人から「トクさん、トクさん、」と親しみを込めて呼ばれ、本人も可愛がられる(愛されている)実感を持って嬉しそうにしていました。

特に日本では、Noと言うことは難しいと感じます。
Noと言えなくて本心を隠すと言うようなことは多々あるでしょう。
イギリスに暮らした頃の私はそのタガが外れ、どう思われるかなど気にせずNoばかり言っていた気もします。
私はそれでも言ってしまう方ですが、日本にいるとこの空気に呑まれます。

2番目の侘助、”断捨離”
キーワードから思いを巡らせる時、引き出しを間違えることもあります。
私はメンタルなことだと思いこんでいましたが、筋反射でサポートしてもらうとフィジカルレベル、肉体的な断捨離だとわかりました。
確かに、以前からこの断捨離と言う言葉と花の色が私の中ではしっくり結びついていなかったのです。白とか青じゃないの?とね。
茶の湯の侘び寂びとは、自然の静寂そのものではなくその再現であり、人によって形に表されたものです。
利休の愛した侘助。無駄なものを削ぎ落とすことで理想を再現する。

他にもカーネーション、紫陽花のエッセスを摂りながら話すとことをし、最終的に作っていただいたボトルはコンビネーションの「ルーツ」でした。
そのことから今は私にとっては「星の記憶や過去から引き継いできた魂の目的を思い出す時」であり、まだちゃんと想い出していないのだな、とわかりました。

他にも気づいたことがあります。
その日着いてすぐ、藤家のお犬様りんりんに慣れてもらおうと少し話しかけて遊びました。
出来心でUnknown Soundを話してみると、静かに尻尾を振っておすわりポーズになり、首を傾げて耳をすませています。
なんどもやってみて、やはり日本語よりも通じているとわかりました。
そうして大人しくしていたのが突然、私の足にすがって求愛行動を始めました。
その時はいくら宇宙語でいい聞かせてもなかなか興奮がおさまらなくてどうしたのかな?と思っていたのですが、
私、りんりんに愛されていたんですね^^
それを一生懸命伝えようとしていたんだな、と。
でも私がそのことに気づいていないのでいつまでも伝えようとしていたのだと。
ちょうどエッセンスを摂りながら藤さんと話している時でした。
大待雪草をとった時には心の中で「え〜一体誰に愛されていると知るなの?神様?家族?」と質問までしていたのですが、答えは「好きなようにやったらいいよ!」???でした。
あれは大待雪草のエッセンスが効いていたんですね!

それから、小学校の頃習った歌が聞こえてきました。
「燃えている火よ、溢れる力よ、森は生きている 森は生きている」
と言うフレーズ、「森は生きている」です。

スノードロップには楽観性、と言うキーワードがあります。
そのことかな〜と喜びの感覚とともに歌詞を更に想い出しました。

「森は生きている 氷に閉ざされた、待雪草だって生きている
森と空を私は見た
生きている者たちの笑う声、話す言葉
燃えている火よ、溢れる力よ
森は生きている
森は生きている」

そうだ、待雪草ではないですか!
まだだいぶ言葉が抜けている気がしたのでググると・・
森は生きている Wikipedia

『森は生きている』は、ロシア人の児童文学作家である、サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク(Samuil Marshak 1887年-1964年)作の戯曲であり、ソビエト連邦時代の1943年の作である。1953年、湯浅芳子が翻訳し岩波書店(岩波少年文庫)から出版された。原題は『十二月』(ロシア語: Двена́дцать ме́сяцев; 同ラテン文字表記: Dvenadtsat mesyatsev)。

この話がミュージカルになった時の歌だったようです。
多分昔読んだことがあるはずですが、すっかり忘却の彼方に・・
待雪草の物語でした。