空になる

サインは夏至の1日前から始まっていました。
いつものバスの車窓から、あるものが初めてそこにあったことに気づいたように、何度も訪れていたにも関わらず、気づいていなかったこと、変化したことに気づくということがたくさんありました。

その日は職場の健康診断でした。
午前の終わりにゆっくり出ようと思っていたのですが、妹(も健康診断!)が忘れ物をし駅まで届けるために私も早出となりました。

病院は空いていてあっという間に検診は終わってしまいました。
どこかでモーニングでも、と思いましたがその場所は氷川参道に面していたので久しぶりでお参りすることにしました。

手水舎までくると、「御神水」と書かれた蛇口が設置されていました。
少し前に誰かの記事で氷川神社でお水取りをしたというのを読んで、湧き水なんてあったかしら?と思ったのでした。
ここは中学の時に引っ越して以来のご縁のお社ですが、産土神社も氷川神社でしたしこの境内の雰囲気がとても好きでした。
おみくじはここで引くと決めています。
灯台下暗し。
あの池の横にある小さな滝の水が湧き水だとは知らなかったのです。
その日は朝から水しか飲んでは行けなかったので、ペットボトルの水を携帯していました。
ボトルの水を捨ててよく洗い、御神水で充し持ち帰ることに。

楼門をくぐるといつもの楠たちが立っています。
舞殿を囲むように自然のままの配置で残された背の高い楠が5本ほどあるのですが、これらの木は神木とはされていませんでした。
踊るような枝振りの楠たちに、人々は自然と手を添え、耳を澄ませ、身を預けてゆきます。

夏至の日の湿気に満ちた空気とは違い、爽やかな心地よい風が吹いていました。
珍しく龍笛の音も聞こえてきます。

参拝を済ませると、「ああ、この気持ちの良い風の吹く日にここでエッセンスが作れないものだろうか」という気持ちが涌いてきました。
作れそうな場所とタイミングを待ちましたが、ポツポツとですが人が途絶えることはありません。
すると結婚式を迎える花嫁と花婿が。
しばらく佇んだ後、ここでは無いと思い楼門の外へ出ました。

広い境内を歩いていると真新しいしめ縄をまわされ、デッキが設けられた大きな楠が目に入りました。
夫婦楠と立て札も立っています。
この楠にエッセンスを作らせてもらえますかと訊くといいえと断られました。

いつも私が通る裏参道からの道にある弁天島の宗像神社の方へ。
水の湧いている場そのものでもある池です。けれどもここでも無いようです。
振り返ると薄暗い木立の中にお稲荷さんの社がありました。
その赤い鳥居の脇に小さな石盤の祠が。
きちんとした身なりの男性が参拝していました。
気になって近寄ってみると「猿田彦」と刻まれていました。
いつもお稲荷さんは鳥居の外から礼をするだけできちんとお参りはしていませんでしたので、その祠のような石盤にも気づかなかったのです。
お参りし、お稲荷さんにも不敬を詫びお参りしました。
稲荷神は五穀豊穣、大地の神とも言えます。

あちこちで大工さんのトンカンする音や草刈り機の音がしていて・・
やはり境内では無いのだと公園への通路へ向かいました。
神域のヤブツバキを見上げると実はついていますがまだ緑色をしています。
また落ちた頃に来ようと思いつつ進むと、ヤブミョウガの白い花が咲き始めでした。

日本庭園でも忙しく庭師の方が草刈りや手入れをしていました。
明日からの大祓えに合わせて公園の整備もされているようでした。
半ばエッセンスのことは諦めて・・足元の小さな花を追いながら歩いていました。

公園の出口が見える端まで歩いて来ると、広場のような空間がありました。
ネジバナが咲いています。
足元に目をやると、様々な小さな花々が咲いています。
オオニワゼキショウを見つけました。
ポツンポツンとまばらに咲いています。
カタバミ、遅れて咲いたたんぽぽ、蛇苺の赤い実、か細いハルジオン、そして白花!のネジ花を見つけました。
良くみると、草たちは一度は刈られた後に伸びたり育ったりしたものたちでした。
だから細かったり、短かったりするのです。
そうして日が当たったところから新たに生えた蓬や、舞台を整えられた所にネジバナが咲き出したのでしょう。

ふと、ここも再び刈られるのだと思いました。
私が今まで写真に撮って来た木々や花はことごとくその後に切られてなくなっていたことを思い出しました。
今ここでエッセンスを作ろう、そう思いました。

ペットボトルの蓋を開け、草原に置きました。
このことをサポートしてくれるよう、エレメントの精霊や天使ー目に見えない存在たちに願い、少し離れた所でUnknown Soundを歌いました。
その場を眺めていると、子供のカラスが近くで土をほじって餌を探していました。
鳥がさえずり、遠くでキツツキが木を叩いています。
相変わらず草刈り機の音も聴こえます。
揚羽蝶、トンボ、モンシロチョウが飛び交い、足元には無数の虫たち。
広場の周りは100年近くの赤松と、枝垂れ桜や桜、そして神域の古い杜の木々たちが囲んでいます。

広場の脇には小道がいくつか張り巡らされており、小さな子供を連れたお母さんが通りました。
ジョギングをする人に散歩の人も。
ベビーカーのお母さんは向こうの道へ。
時折公園の外周を通る車やバイクの音。
自転車を漕ぐ人。
草木は人の事情で刈られたり、あるいは自然によって淘汰され、命が永遠にそこにとどまることはありません。
けれども命の流れはどこかで繋がれています。

私は降っている音を歌い続けーー大丈夫、ここで起きていることすべてを包含したエッセンス。これで良いのだと思いました。
時計をみると11:30、夏至の(一日後の)太陽の光、天中に差し掛かる正午まで待とうと決めました。
最後には草刈り機の音も止み、静かな時を迎えました。
太陽にはうっすらと雲がかかりはじめ、正午には日暈が見えました。
そして12:01、エッセンスに蓋をしました。

今までに、作りたい花や計画したこともありました。
つくるなら摘むのか摘まずにつくるのか、人気がなくてその植物が自生している場所で・・
どうするべきか色々シュミレーションしたりもしました。
けれども、ふきのとう以来その機会は訪れませんでした。
今日、なんの準備も支度もしていなかったけれど、私の体は余分なもので満たされていなかったーー空だったのです。
そのため、流れこむサインに気づくことが出来たのだとわかりました。
私の少しの意図とエレメントや見えない世界のサポートを得て、エッセンスがもたらされたのです。

これが私の作ったエッセンスのすべてだと思っていました。
けれども後日ーー時間を外した日、このエッセンスに記憶されたものを友人の助けを得て知ることになったのです。
Journey on