嫌いな訳

ものごころついた頃からとにかく私には嫌いなものがたくさんあった。
食べ物に始まって、あらゆることに対して好き嫌いがあり、感情が大きく振幅するきらいがあった。
しかし、嫌いなのには訳がある。
嫌いな物のいくつかは実際に身体が受け付けないアレルギー物質である場合もあった。
それ以上に嫌いなものが多い訳だけれど、嫌いな度合いもちがえば訳もさまざまだった。

ある日銀座のとらやで友人とお茶をした。
数時間おしゃべりした仕舞いに、友人が「嫌いな理由を本に書いてみれば?」と言った。
毎度きらいなものに対する理由を語る私のある種の情熱と、そんなに並べ立てるだけの理由があって嫌っているということに関心を持ったのが半分、呆れたのが半分、そんなところだろう。

あれから三ヶ月が経った。
今日、やっかいな=嫌いな言葉と出会った。
その言葉に私は磁石のように反発し、強い動機が喉をすり抜け言葉となり、ついに理由を語るに至ったのだ。
という訳で、多分次の本は「嫌いな訳」を書いたものになるだろう。

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