大いなる赦し

7月の新月の後、仕事環境でのストレスやプロテクションのためにファーデンクオーツのSOUL WATERを使おうと思っていたのだけれど、実際に手にしたのはGreat Conjunctionのボトルでした。
2020年12月に作ったWATERでした。
そんな小さなことよりもーー大事なことがあると言われたようでした。

使い始めるとすぐ、著莪のことが思い出されました。
2003年、プラクティショナートレーニングの中でMarionと作ったエッセンス。この時私が感じたエッセンスは、ローカルルール(道徳や観念)よりももっと大きな視野、より高い視点から必要と思うことを実行に移すと言うようなものでした。
もうそのエッセンスは手元になかったのですが、誰かが作っていたはずとFBで尋ねてみたのです。

そうして和樂神楽の著莪「魂の解放」を取り寄せてしばらく摂っていました。
今年の誕生日のエッセンス(誕生日の夜に降る音と魂のものがたり)が訴えた通り、私の魂は腐る寸前でした。
そして今年、あまりにも切迫した魂のニーズは”ものがたり”を語らず、私にわかる衝動と言うインパクトを携えていたのです。
わかっていたから隙を見つけては小さな旅に出てはいたのですが、それは現世でのお付き合いーー家族のニーズも満たす折衷案でした。それでは魂は納得しないのでした。
私にとっては一人になる時空間が必要であり、そのような時にこそ魂は癒されているのを感じていました。
私にとってのここでの使命は自身の魂を癒すことであったのだと思います。
そしてPath Finderの中でーー命を賭して成すほどのもっと大きな使命をもたらせと語った者がいたことを思い出しました。
だから結婚しなかった、できなかったことも魂の選択だったのだと今更ながらに府に落ちた感が。
魂の要請とは、決してごまかしが通用しないのです。

8月に入ってふと目に届いたのはRowanでした。
このエッセンスを数日取り続けると、気付きが上がってきました。
“生かされていることへの罪悪感”
自分が考え方の根底に死を基準にしているところがあることは自覚していましたが、そうだったのか、、と。
生かされていることへの感謝と言うよりも、感謝”しなければならない”と言う気持ちがありました。
その後、この世に生を受けた時点で全てを与えられているーー命を使うことを許されているのだとも思いました。
けれども、私は多分それを受け入れていなかったのだと。
そして魂は死後も生き続けるのだから、死もまた現世のローカルルールによる限界、幻です。そこに意識が囚われすぎていたのだとも。

夏の終わりに、世界中の人々と盆踊りを見ることができて良かったな、と。

古くて新しいツール、128 C は地球の周波数。精神に自由をもたらすとシュタイナーが言っていたとのこと。おそらくアンカヴァーリングヴォイスは432Hzに通じているはず。