露草

ツユクサをとっている間に私が個人的に体験したことと気づきです。

エッセンス本来のメッセージやはたらきについて詳細はこちらへどうぞ ほしのしずく

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「ほしのしずく」のツユクサのエッセンス、初めてとった翌朝、いつもより早く目が覚めました。

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“朝が来るよろこび”

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再び摂り始めました。
年の瀬から新しい年を迎えるこの時期、ツユクサとともに過ごします。

私はあなたを知っています
遠い昔にこの場所で共にいたことがあるでしょう?
あなたのことを探していました
そしてふたたび出会いました
私の源は限りない愛とよろこびを表現しています
生きるよろこび
朝が来るよろこび
日の光を浴びて流れ出す愛を感じてください
そらには星があり、その中に私の故郷があります
私を通して人々は・・・

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やはりこのエッセンスを摂っていると、いつもより早起きになるようです。
そしてスピードを加速する側面があるように思います。
例えば、ありえないようなテンポで乗換がうまく行く。
流れに乗せてくれるというか、目的地へ運ばれている感覚。
よそ見をしないで。

私がこの花に喩えた友人は、病床からの手紙にこの世にあるすべてのものに対する”愛おしさ”をたくさん綴ってくれました。
そして夜が来るたび、明日という日が来ないのではないかという怖れを抱いていました。
だから、毎朝、朝が来たことに歓びを感じ、安堵していたのです。

この世界での学びを終えていち早く旅だってしまった彼女は、
飛び級でこの世をクリアしたのだとも言えるでしょう。

もうひとつ、
“澄んだきれいな水の中でしか生きられない魚” のような存在、ゆえにこの世の中で生きてゆくことは難しかったのではないかと感じていました。
水のエレメント 汚されてはならないもの
あくまでも彼女に感じた要素ですが、ツユクサにもそのような面があるでしょうか?

1/9ここ数日父との関係についていくつか気づきがありました。
父は私のすることをことごとく受けつけないということに今更ながら気がついたのです。
それはやはり考え方ややり方の違い、価値観の相違だろうと思います。私もまた、父のすることが受付けられないからです。
受け入れる以前の拒否反応です。

その積み重ねが自分のしようとすることを否定・卑下することに繋がっていると思ったのです。
更に父のために罪悪感を感じ自分の行動をセーブしている”のに”、父は家族に構わずしたいように行動して迷惑をかける。
そう怒りをためていたのです。

そういう父に加え祖母のこともあり私は自分の外出する予定を決めることを怖れていました。
ぐずぐずといつも見送っていました。
けれども、ツユクサのエッセンスをとって”今日の学び”は何であるかと問いを発していると、どんどん必要な学びの場となる予定を決めていました。
必要なこととそうでないことがスッとわかるようになったのです。
そして父がどこで倒れようと、たとえ命を落とそうと、それは彼の責任だと思うに至りました。
だから”行けそうだ”という状況になったその時、”行こう”と決断できたのだと思います。

この日、友人のご両親からお手紙が届きました。
そして電話でも話しました。
いつもいつも私はご両親から励まされ、感謝されています。
このお母様の愛もまた、マリア様、観音様のようだと感じるのです。
ツユクサのメッセージである”無条件の愛”は私が知りたかったものでありながら、自分から一番遠いもののように思うのです。
そしてきっとその愛はこのようなものなのだなと少しだけわかったような気がしました。

1/10
始発電車で出かけるこの日、前の晩に忘れずにツユクサを摂りました。
朝、必ず起きられると思ったからです。

そもそも埼玉からの日帰りで公共交通機関を利用して三社を参拝することは大分強行軍だとわかっていました。
夜中には祖母の具合が少し悪くなり、出かけるのは我欲で諦めるべきなのかと悩みました。
お札は近所でもいただくことができます。
けれども、参拝のためにに彼の地を踏むことが必要なことなのだと私はおぼろげながら理解していました。
だから、最終的に妹に任せて行くことにしました。

宇治橋での出来事、水の神への参拝、待つということ、そして大事を終わらせ次の課題へ。
“今日の学び”がてんこ盛りでした。

五十鈴川に稚魚がたくさん泳いでいました。水あるところに命があるのは当然と言えばそうなのですが、
命の讃歌のようなツユクサのメッセージには水のエレメントが含まれているように思えます。

そして、集中力、加速、が働いていると思えます。
俯瞰して見ると、
蕗の薹の一連の出来事と学びは最初に摂ったツユクサによって加速されたのではないかと思えるのです。
Transformation Gameを終えプラクティショナーを目指すと決めながらも、実際私が本当の意味でエッセンスを理解するようになるまで何年先になるかわからないという気持ちでいました。
もちろん、今の理解もまだそのすべてではないとわかっていますが、3ヶ月前の心境を想い出すと、想像以上に遠くへ来たと思うのです。

そして、その前に摂っていた”Healing the cause”の課程が続いていたことが見えて来ます。
終わりはないInner Journeyですが、ひとつの流れ、サイクルが終わった様に思います。

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