コミュニケーション 

旅に出たいとムズムズ。
マイルも溜まっているし–行き先を夢想していると、突然受信しました。
弾むように繰り返す歌は楽しい様子。
一体どの行き先が呼んでいるのだろう–ペンを取りノートも取りはじめました。

すると、途中聞き覚えのあるリズムの話し声に変化しました。
トト!
私の変容を手伝っているという未来の地球から来た子供。
昨日気になっていたので–話しかけ質問したのですが、その時は疑問を残す問答になりました。
彼らが望んでいるのは”ドームのない地球”ではない–ということでした。
(ドームのない地球とは私が勝手に想像した平和な世界の例えです。彼らの地球は二つに別れていて、一つはアキラのような荒廃した世界で、もう一つはドームの中に自然があり、平和に暮らす人々がいるというもの。そしてトトの望みは私のDNAを後世に残すことというものでした。肉体的には残せないのでどうやって?という話から始まっています)
それを聞いてやや複雑でしたが、仕事中の休憩時間に疲れている状況でそのような通信を試みるのも良くなかったと思い直し、
そちらから話したいことがあったら話しかけてねと昨日お願いしたのでした。

顔を見せて、そしてメッセージーがあるなら日本語でと頼みました。
前回の通信では、彼らの地球を見に来て欲しいと言われていました。そうすればヒントが得られると。
ずっとどうしたら見に行けるだろうか?と頭の片隅においてはいましたが、その手立てがなく時が過ぎていたのでした。
なので、今回もまた、どうやって?と訊いてみることに。
そのやりとりがこちら。

あなたはここに来てくれないの?
 行きたいと思っています でもどうやって?
あなたには心の目があるから
もうすぐ見えるようになる
ぼくらはこの地球に働きかけています
この星の未来から見ています
あなた方の意識は
ここに愛を送ることができます
明日からラインが繋がるでしょう
 どうやって?
ぼくたちを想像してみてください
愛に溢れるこの地球を

明日からラインが繋がるって何でしょうね^^
私にはヴィジョンやイメージとして観ることはできず、Unknown Sound(Light Language)を通して感じている世界です。
この感覚の芽は植物へのアチューンメントを通して2003年頃生まれたものですが、私の場合は受け取るメッセージが植物に限らず、多岐にわたりました。
そうして瞑想を通じてメッセージを受け取っていた時は不安が頭をもたげ封印した経緯がありましたが、ある時疑うのをやめると決めたのでした。
そしてライト・ランゲージを学び始めてからは、そのような不安は感じなくなりました。
この数年言葉にしないことで悟性を通さずにパイプになる訓練をしているのだと理解すると同時に、私のサウンドの帯域のようなものがわかって来たように思います。
言葉よりも音の波の表現に寄っていると思います。
ですからUnknown Soundと名付けたのです。
相変わらず翻訳はできませんが、最近は再び少しずつ言葉にする回路も通しはじめています。





水の気配

節分の日にできたエッセンスは、マヤとの縁を意識に昇らせました。
そして待っていたパレンケ遺跡–聖なる直観のエッセンスは新月の日にポストに入っていました。
五つのエレメントの中のWATER、水のエッセンスです。
アカシックレコード、グレート セントラル サン の新しいコードにアクセスし、
聖なる直観と気づきを高めるためのものだと書かれています。
このエッセンスを摂り始めると、様々なシンクロがうむ新たな疑問に答えが(直観を通して)やって来ました。


梟の名のつく喫茶店で打ち合わせをすると、畳み掛けるようなシンクロの後、今まで考えもつかなかった方向に物事が流れ始めました。
お互いにとって手探りで、まだ手放しに喜べるものではありませんが–それで良いのだということはわかります。
それがJove Tarotで耳にした”パンドラの箱”であると私にはわかりました。
そして、パンドラの箱の物語が何を語っているのか–という問いに答える投稿をFBで目にしました。
“二極性の先にある世界”です。
その世界に希望の矢を放つことの重要性。

その日のシンクロの最たるものが梟でした。
梟の神が自ら謳った歌 「銀の滴降る降るまわりに」
私を北海道へと誘った言葉たち。
知里幸恵ノートを探しに北海道へ向かった17の冬。
久しぶりに読み返し、この歌は何を物語っているのだろうかと考えていました。
昔貧乏で今はお金持ちの人々、昔お金持ちで今は貧乏な人々、そして梟の神の物語。
数日後、繰り返し私の頭に流れていたのは年始にエッセンスを作った時に流れたメロディでした。
このエッセンスはBalancing Karmaと名付けたものでした。
そう、これはカルマのバランスの話なのだ–とわかりました。
「あたりに降る降る銀の水、あたりに降る降る金の水」そう歌いながら梟の神は舞い降りました。
それは雨のように降る宇宙からの光であり、そう歌うことで実際に降り注いていたのだろうとも思えました。
そう謳った翌朝に起きていたのはmanifestationです。
それはライトランゲージによるアバンダンスワークのケーススタディのようにも理解できます。
音とは、見えない世界とかたちある世界との中道–架け橋なのだということも。

昨日はあの早咲きのあやめがどうして咲いたのかがわかった気がしました。
この冬の長く続いた乾燥のあとで、やっと雨が降ったのです。
その雨が、命のスイッチを入れたのだろうということでした。
ナマクワランドで雨季の始まりに一斉に花が咲くように、です。

今日は用事を終えて家へ帰る途中、冷たい空気の中にはっきりと春を感じました。
そして、私が感じた春らしさとは温度ではなく空気に満ちている湿り気、水の気にあるのだと気づきました。
体内の細胞–DNAは水の中で生きています。
だから水が伝えるのです。
そして水は天と地の間を循環します。


20190221

 朝起き抜けにFBでAluna Joy の投稿のリポストーー2016年12月の記事を読みました。
いつも分量が多いので後でと読み飛ばすことも多いのですが、今日は休みだったのでその場で読み始めました。
彼女はマヤンアストロロジーの人で、最近は世界中のパワースポットを巡礼するツアーを主催し、各地でエッセンスも作っています。
ホゼ・アグエイアス博士とは異なる3/21春分を起点とする暦を提唱しています。
私が彼女を知ったのは1998年、フィンドホーン滞在中。
週末のワークショップに参加し、本を1冊買い求めました。
彼女の本は旅の途中で手放しましたが、名前は忘れることなく覚えていました。
数年前に再びマヤンカレンダーに触れるようになり、その時に検索しサイトを見つけだしたのです。

 その記事はパレンケ遺跡に眠るLord Pakalパカル王がもたらしているものについて書かれていました。
パカル王こそが、あの扉石(Breathing Universe-宇宙船に乗っているように見える)に彫られていた人物だったのだと知りました。
そこに書かれていることはLight Lnguage、そしてアカシックレコードについてであり、(最後にはエジプトのセクメトについても触れています)これは私にとって重要なことだと思いa diamond peace 純粋な平和– 星の種族のコード をダウンロードしてみることにしました。
The 13 Heaven を地上に降ろしアンカーするコードです。

 それは私たちに理解できるよう言語化が不可能な彼らの記憶であり、平和コードであり、彼らが地球に運んで来たもの(パレンケ王の意識が地上に残り、彼の先祖である星の種族も共にコネクトしもたらそうとしている)だとAlunaは言っています。
彼女らは昨年その3段階目に入ったとエジプト訪問の際に確信したようです。
そのコードはメモリーディスク(クローバーの葉の形に似た)に記憶されているとも書かれていました。

 ずっと関心があったマヤのことについて、たくさんある興味の一つだと思っていましたが、違うのだとやっとわかりました。
彼らのDNAは私の中にもあるのだと。

すっかり記憶の彼方に。また読み直さなければ


そんなことを考えていた後、流れて来た情報は小惑星探査機「はやぶさ2」が惑星「りゅうぐう」に明日着陸予定というニュースでした。
なぜ気になったのかというとーー
はやぶさ という言葉からすぐHAWKのカードを思い出しました。
英語ではFalconですのでニアミスな感じですが、私の中で結びついたのです。
2月のJove Tarotにも出ていましたし、スージーさんとのセッションで(これから1年のために)も引いたカードでした。

 惑星りゅうぐうと名がつけられたのは、このはやぶさ2ありきの話で、神話ーー浦島太郎が竜宮城から玉手箱を持ち帰るという期待感からつけられたそうです。
この星が見つけられたのは1999年五月上旬。(私にとって大きな変容期を経て光がさした時期でした)
小惑星りゅうぐうには水がある可能性も。
おかしいのはクレーターに桃太郎、きびだんご、おとひめ等と名がついていること。
金太郎も見つかれば某社のCMみたい。
明日の早朝、着陸の様子が見られそうです。

 二つのニュースと、Unknown Sound Essenceモニターレポートから、意識が整理され、はっきりくっきりと見えて来たものがありました。



visualization

AREON CHANNELING FEBRUARY JAMYE PRICE.COM
の中で、ヴィジュアライゼーションのエクササイズがありました。
やっとタイミングが来たと喜んだのですが、これにはトレーニングが必要だとわかりました。

二度目の再生でやって見たところ・・
毎月のクラスの中でも冒頭に瞑想をし、色を観るのですが、この色を観ることがいつもできないのです。
困ったなと思って再生を一時停止し瞑想しましたが、やがて諦めかけたときに「ブルー」と言葉が。
ああそうですか。
やっぱり見えないんだなと苦笑しつつエクササイズを続け、次は「イエロー」、そして「ゴールド」とワークしました。

いよいよ具体的な望みを思い描くところへ来て、
自我そのものとしては、どうやって生活を安定させてゆくかーー要は収入を増やしたいという願いがあるのでそのワークをするのだと息まいていたのですが、
まるで違う結果になりました。

未来に想いを馳せた時、トト(未来の地球の子供)が生きていることを想像しました。
以前教えてもらった二つの地球、ドームの中の自然と荒廃した(ブレードランナーやアキラのような)世界ではなく、生まれ変わったひとつの地球ードームを持たないの自然の中に生きている様子です。

するとあの図が光だし、光の繭、明るく輝く白金のイメージが浮かびました。
地球の変容のための繭を作るのは人間であり、人がハートから光を発し、光の糸でネットワークを創るのです。
それは人類の成長を意味します。
Unknown Sound、あるいはエッセンスが助けるのだとわかりました。
その研究のために(隠遁のためではなく)やはり自然の多いところー北海道に移り住みたいと思いました。
そのために必要ならば家や土地、お金さえもつくりだす道が見つかるだろうと感じました。(何もしないで待つという意味ではありません)

いつも〜のために自分で稼ごう、稼がなければと考えるとこじれてエラー音が鳴るような感覚がありました。
今回もその自問自答の中でカードにアドヴァイスを求めると必ずlemming(日本語ではタビネズミ!)が出て来ました。
それでも、皆と同じように地上や現実が大事だし、夢想と現実の間を埋める行動が必要だと思ってきたのですが、本当にその方向ではダメなのだとわかりました。
流れに逆らっているのですね。

いくつかのシンクロ

このクラスの最後にJamyeはRainbowについて触れました
瞑想の中で光の色と感情を感じるところからエクササイズが始まります
私のWhite Brotherhood Medical Teamのサインはレインボーです

Jove Tarot のTo the Sea と Hawk のカード
シュタイナーの牛、鳥、ライオン、の統合(worldのカード、あるいは4つの福音)そして蝶に関する考察
節分にエッセンスを作ったその場で受け取った短いメッセージ
 私はあなたと共に生きています
 鳥たちは喜びとともに私に話しかけます
 あなたは私に何を望みますか?

Melody of February

節分、立春、新月を迎え3日目の昨夜、気づきがやってきました。

一つは怒りは自らにすぐに跳ね返ってくるということ、そしてその怒りの元となっていた深い出所です。

今の仕事に就いてから、よく怪我をしていました。
昨日もささくれから血が滲んで痛み、竹かごの穴に指を刺してしまい傷つけ、メガネを勢いよく壁にぶつけ鼻を打ち。
そこでハッとしました。

ずっと横目で見ながら数ヶ月知らんふりしていた仕事がありました。
なんでもしわ寄せを受け入れがちなパターンを改める意図とともに、これは私の範疇ではなく他にするべき人(責任を持った)がいる、というのが私の考えでした。
でも一向にする気配がない。
その日とうとう我慢ができなくなって怒りを持ちながらその仕事をしたのです。
すると直後にメガネをぶつけました。
その時の私の感情は「これは私の仕事ではない!」でした。
けれども次の瞬間ーーわかりました。
その仕事をしなければ気持ちが悪く我慢できなかったのは私。
自分のためにしたのだから、その怒りの矛先は収めなければならないということ。
でもふつふつと葛藤がまだありました。
なのでその怒りを”浄化の魔法”で中和しました。(きつねさんのこのツールは本当に役にたっています。)

夜新しいエッセンスが私にどう働いているのかに意識を集中していると、そのことが思い返され、スルスルと糸を手繰るように繋がりが見えてきました。
怒りを持って働いていた時、必ず怪我をしていました。
そしてもう一つのパターンがありました。

その深い根を辿ってゆくと、愛と敬意の欠如に向けられるものであり、尊厳を傷つけられることへの恐れと怒りでした。
怒りというはっきりとした感情が私に教えた”望むもの”は
それはやはり”愛”なのではないかと思いました。

人生の中で何度か愛を感じたことがありました。
失恋したと気づいた日、自分を馬鹿だな、仕方ないなと受け入れた時、胸のある一点からじわじわとお湯が滲み出るように温もりが拡がるのを体感したことがありました。
それは自愛でした。
次は人生の夏休み、大人になってから受けた教育の中で、恩師の問いかけと眼差しに人の成長を見守る仲間としての愛を感じました。
もう一度は冬のある日、窓拭きをしていた時差し込んでいた太陽の光にーー大きな愛を感じたのです。
そして1ヶ月ほど前、新たな愛の意味を知りました。
それは痛みや悲しみは水に流して、相手の差し出したままを受け容れるというものでした。

私を呼び寄せ旅をさせた”無条件の愛”という言葉。
それは大きな愛、神様の愛のようなものだと想像するのですが、今は人の持ちうるどんな形の愛も人を生かすのだと感じています。

その旅の終わりにーー生きる私たちが柱となって立ち、愛を発現することが地球全体の変容を促すのだと予感しました。
それは20年前にThe spirit of English を学びーーキリスト意識に触れたことから得たインスピレーションでした。
個人のハートからハートへのネットワークが地球を包む繭となり、地球は変容するというものです。
子供が意味がわからず覚えたての言葉を口走るように、私はそれを書き留めました。
今それがアセンションを指していて、現実として起こり始めているのだとわかります。

愛とは、やはり西洋的な言葉です。
でも西洋的な暮らしに慣れた私たちはハイブリッドと呼べるかもしれません。
愛を感じ取り、歌います。
それに、日本神話も旧約聖書もルーツは同じだと私は思っています。
日本語で愛にあたる言葉とは、やはり 尊敬、そしてありがとう になるのだと思います。
そこで繋がりあうのは人と神だけでなく、自然と個人の内に発露した内在神のネットワークです。

まだカオスですが、確信に迫ることができるのが二月のエナジーなのではないかと感じています。
そして、節分に受け取った旋律に乗る情報を記憶したエッセンスはそれをサポートしてくれると感じています。

P.S.
外で仕事をする中で今回のように学ぶことがあります。鏡を見てチェックしているようなものなのだと思います。



節分

気づいたら節分でした。
初詣がまだだったので、ご挨拶と恒例の御籤を引きに大宮氷川神社へ。

雲ひとつない晴天、暖かく春の気配。
今日はこの空を見た時からエッセンスを作れたら、と思っていました。
Angelは 言葉が何も書かれていないvoid。

ちょうど豆まきが始まる直前に参拝を済ませ、福豆を求め福引でティッシュをいただきました。
ご神水を携えてーー藪椿の木を観察し、日本庭園から裏手へ。
夏至の頃にエッセンスを作ったあの場所へ向かいます。

石蕗の綿毛
藪椿はまだまだ、梅も咲き始めたばかり

向かう途中、静かに旋律が流れてきました。
松ぼっくりの散らばる広場に着くとボトルを置き、歌い続けました。

記録のために録音を始めた矢先、舞殿から”福は内”とマイクで叫ぶ声が風に乗って届きましたが、幸いすぐにその音は止みました。
この日は、たくさんの鳥がおもいおもいに鳴く声があたりに響き渡っていました。
そして5mほど先にはピンクの可愛らしい梅が咲いており、家族連れが写真を撮っていました。
この場所で作る以上はーー問題ではありませんでしたが、ふと気づくと冷たい風が吹き込んで雲が湧き太陽にかかりました。
終わりの合図と気づきボトルに蓋をしました。

何も食べていなくてお腹が空いたので、気に入りの食堂で炊き込みご飯をおかわりし満腹。
家路につきました。

短いメッセージを受け取りましたが、声の主が誰なのかまだわかりません。
このエッセンスで太陽の節目を過ごします。

2019 Theme

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 年末からガタガタと部屋の片付けをしておりましたが、未だ終わっていません。初夢も覚えていなくて年始感乏しく過ごしていましたが、昨日あたりから何かが動き出したように感じています。
今年も月の半分ほど外で働くスタイルです。
もう半分の時間を使ってUnknown Soundのセッションとカスタムエッセンス作りをしていきます。

 昨日の夕方には1畳ほどの自分のためのヒーリングスペースを部屋の一角に創り出しました。
ここでペレランドラ、MAPの勉強を始めます。
Unknown Soundもこのささやかなスペースから遠隔、あるいはzoomセッションで今年はお送りします。

 そして5日午前中には大いなる勘違いのもと、今年最初のエッセンスを作りました。
いよいよ重いものはこの先は持っていけない、そんな大掃除の時期のような気がしています。

 最後に–昨年11月に「多次元ヒーリング」というセッションを受けて以来時々交信を続けている”未来の地球の子供”の存在。
その子の呼び名はトト。
私の変容期を応援していると言います。
生物的に子を産む以外の方法で遺伝子を未来に残すにはどうしたら良いのか?
私が彼らの地球を見に行くにはどうしたら良いのか?
疑問ばかり増えていますが、コミュニケーションをもっと取ることに。

 パラレルのように同時進行で様々な芽がでています。
今日のエンジェルはFreedom
『あなたが意思決定する際の基準となる条件を変えることによって、あなたの経験を自由に変えることができます。昔の虚飾を手放し、あなたのユニークさを表現しなさい』The Original Angel Cards
そして今年一年のテーマはギャラクティック・ルーツ・カードから。

63 カルマのバランスを取る プレアデス 現在
“魂を解放するために”

本の上に立って別の本を読んでいる–おかしいですね。
どうやら昨日作ったエッセンスはこのためのものでした。私のYear Bottleです。



フラワーエッセンスとは何だろう?

枇杷の講座の中でこう問いかけられた時、すぐには言葉になりませんでした。
それは自分にとってのフラワーエッセンスの本質–エッセンスを抽出する作業です。
けれどもこの日、しばらくすると今までに自分が繰り返し”説明”として用いてきた言葉とは少し毛色の違う言葉が浮かんできました。

私にとってフラワーエッセンスとは・・
地球に根ざし繁栄してきた植物たちの知恵ーーそしてその純粋なスピリットを記憶させた水であり、人が地上で生きることをサポートしてくれるものです。

この日いつものように何かエッセンスを摂ろうとして、慌てて講座の日なのでビワのエッセンスを摂って出かけました。
講座の前にハーブティーを入れていて、自分のために選んだのは白に淡いピンクの端がカールしたように開くバラの写真のパッケージのお茶でした。
 その後は秘蔵のスリランカ紅茶をいただくことにしたのですが、
それは “My Love” と名付けられたもので、これにも薔薇の花びらが入っていました。
そしてパーティの終わりに典子先生のために贈られた手作りの花のリースを皆で被ろうとなったのですが、反射的に私は断りました。
それも白とピンクの可愛らしいバラで作られたものでした。
ビワは見た目ではそうだとわかりづらいのですがバラ科の木です。この日のシンクロは薔薇でした。

フラワーエッセンスとは何か?
その時選んだ言葉にはビワが影響していたように思えました。
花はーー植物が自らの命を繋ぎ繁栄する(生き残る)ために咲かせるものですが、私はその美しさは(メッセージを持って)人のためにも咲いているのだとずっと思ってきました。
サポート、とは人への愛だと感じていたからです。
(情愛ではなく博愛、かな)
ただどうしてもそう書くのは躊躇われ、やはりサポートと書きました。

この日の短いプルーヴィングで感じたものは、
“recovering” “uplifting” そして短いメッセージでした。
“私と共に歩みなさい 私はいのちを天に捧げて生きています”

このメッセージを受け取れてーー 一年浅野先生からフラワーエッセンスを学べて本当に良かったなと思えました。

そして誤解を恐れずに言うならーーシュタイナーの勉強をやめようと決めた時と同じように、フラワーエッセンスの世界に収まることは、どこか私には窮屈さも感じさせるのです。
今日、青空に点々と浮かぶ白い雲、そしてその中を宙に浮いて歩くユニークなサンタの絵を見ました。咄嗟に「赤い空歩く人」だと思いました。
ずっとこのKINと赤と白のテーマが頭の隅にありました。
火山、火と水、第1チャクラと第7チャクラ、、、火星とシリウス、
そしてエッセンスとUnknown Sound。
私のキャラー赤い空歩く人を、「地上にありながら時空を自由自在に歩く人」と設定することにします。



Insight

最近さまざまなセッションやセラピーを受けることは、自我という体の中に閉じ込められた意識からは見えなかった”別の視点からの新しい情報”を受け取ることだと感じています。

情報が”癒し”に変わるには、wholenessとしての自分の同意が必要で、自らが受け取り、そして統合してゆくことが不可欠なのだと思います。

昨日は興味深いセッションを受けました。
でも先に書きたいことが山積みなのでそのセッションについてはまた後ほど



先日、お腹が痛くて目覚めました。
腹に溜まっていたものを全て出して時計を見るとまだ5時でした。
目が覚めてしまったので、一週間前に受けたスージーさんのセッションを聞き直しました。
その中の言葉をヒントに私の作ったエッセンスについて注意深くこれまでの過程を振り返って見ると、あるエッセンスのもう一つの方向からの気づき、理解がやってきました。
そのエッセンスを作った時の意識、意図、状況、過程そのものは、エッセンスに記録された魂の物語とは関係が無い様に思えていましたが、体験そのものから自分を切り離すとーーその過程と抱いた感情もまたエッセンスの質であることがなんとなくわかりました。

実は少し前に私は自分が作るエッセンスの”設定”について考えていました。
さまざまなフラワーエッセンスのメーカー・ブランドがありますが、それぞれにプロデューサーの霊的バックグラウンド、世界観、そして意図が反映されています。
ですから私がエッセンスを提供しようとするならば、その様な設定がある程度必要なのでは?と考えたのです。
例えば、バッチ博士は医師としてのミッションを通してーーエモーショナルレベルに、フィンドホーンならば見えない世界の存在とのco-creationという共同体の意識の土台の上で、メンタルレベルにアチューンメントして作られています。

先日参加したアンジェリックエッセンスのイブニングコースで、アンジェリックエッセンスにとって重要なことはーー受容するベースとしての瞑想、そして高次元の意識(主に天使界)だけで作られているということだとわかりました。
3次元的”時間”の概念の制約を受けないということです。
ですから今使うことで過去生や未来生に影響するのです。

和楽の雫シリーズもやはり時間という制約が薄いと感じます。今という瞬間を捉えている感じですが、地上に咲く花を触媒としていることはかわりません。
この世に生まれたーー肉体を持って生きているということに重きがあるからです。
そして神楽のシリーズは神様ーー意識体によるもので、縁を結びたいかどうかと問われます。実際はこちらからは選べないのですが。

では私がパイプとなってもたらそうとするものはーーそう考えていた時Unknowkn Soundから受け取った答えは、深い瞑想の状態に自分がなるということだけでした。私の意図など要らないのだと言われたように感じました。

けれども、ふとそのことについての気づきもやってきました。
私の作るエッセンスは、individual essenceであり、魂のものがたりであり、その人を癒すということにおいては鏡の役割を果たします。
それと同時に個人の質は磨くことで全体のアセンションを加速するーー地球への奉仕となりえます。

[そして再び浮上した”こども療法”の可能性。
魂が隠れてしまった人に岩戸の隙間から鏡をのぞかせる。
その人を深く理解したい場合に家族や周りの人が摂ることの有効性もあるかもしれないと想像します。]

話を戻します。
個の魂のクオリティは、カットされたダイヤモンドの一面だというイメージが浮かびました。
私にはまだ一つに溶け合ったonenessはイメージできません。

New Music は J-Pop に
New Age は Ascension へ
時の評議会は Areon は No era  すなわち直線的な時間を持たない
Light Language 光の言語は 私にとっては Unknown Sound 未知なる音

柊の運んで来たNew informationでした。

 







その質は全体への奉仕となります。



伝えたいこと

「ありがとう。会えて嬉しかった」
そう伝えた時、実際に寝言で呟いていることに気づき目が覚めました。

夢の中でお葬式に参列していました。
でも本人はまだ生きているのです。
そこでの式とは向こうへ行く人に別れを告げる場でした。

私は最期を看取るのだと思っていましたが、
彼女のお母さんは、「良子さんに先にお別れしてもらわなければ」と言い、私は彼女に会いに行きました。
柱の前に立った彼女に向き合うと涙が溢れ、何か伝えなければ、一番伝えたいことは何かとーー押し出された気持ちとともに出たのがその言葉でした。

目覚めてすぐ浅間山のエッセンスをつくった意味はこれだったのだとわかりました。
軽井沢は彼女ともう一人の友と一緒に出かけた想い出の場所でした。
白糸の滝、鬼押し出し、北軽井沢、白根山のお釜、志賀草津道路から五色温泉へと下る道、山田牧場、丸山珈琲、、、
それも紅葉の時期でした。

彼女が去ろうとしていた時、私は虫の知らせを感じていました。
そしてそのことに気づきながら何もできない自分に無力感を感じるというパターンを身近な人や大切な人の死を通してその後も何度も繰り返しました。
ここまではずっと自覚してきたことでしたがーー
その人の生死に対して何かができたのでは?ということではなく、”生きているうちに大事なことを伝えられなかった” 後悔なのかもしれない
ーーと今回のことで感じました。

——–
小浅間山から見る浅間山の空へと続くなだらかな稜線は、今は立ち入ることのできない登山道でもあり、彼岸の風景でした。
ゴツゴツとした溶岩の塊が北東へ流れ出た様子が今も残っていますが、山容は穏やかで、女性性を感じます。
裾野を彩る木々は葉を落とし始めていましたが、岩の上には苔や地衣類の瑞々しさを感じ、その上に生えた木々は森としてはまだ若く、そこに広がるのは再生のランドスケープです。
私の大好きな火打山も、いつか行ってみたいと思っている月山にも同じエッセンスを感じます。
私は空へ続くあの道を歩いてみたいなーーと少し憧れのような気持ちをもち、対岸から眺めていました。

山頂付近で歌い、エッセンスを作りながら2時間ほどを過ごしました。
その間に何組かの登山者と行き交いましたが、女性だけのグループはどちらも楽しそうに辺りにおしゃべりを響かせ、賑やかでした。
帰りのバス停がわからず茶屋で尋ねると、早く来る白糸の滝経由のバス停を案内されましたが、私は気に入りのトンボ(!)の湯に入りたくてもう一つの路線バス停を探しうろうろするうちに先のバスは行ってしまいました。
茶屋でジュースを飲みながらひと心地つき、改めてバスに乗りましたが、降りるときに耳をおかしくしてしまいました。
風邪で鼻が詰まっていたので急な峠道の下降で耳菅が圧迫されたようです。
その後しばらくは右耳がかすかにしか聞こえませんでした。
パフィンに似た嘴のイカル。
カフェでは咲いているりんどうを見つけました。
そういえば、先日上野の山で冬のぼたん園の話を思い出していました。
どちらも彼女のエピソードに繋がる花でした。
彼女との別れが、私の人生に大きな意味を与えていました。
“今の”私の人格を形成する岐路だったとも言えるかもしれません。
オオオニバスのエッセンス。
記事を投稿すると、ある人が「人生を楽しみましょう」とコメントしてくれました。
その時素直に、「ーーそうだ、これからは楽しもう」と思えたのでした。
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